てんさい! 楠木美羽
里蔵光
高校編
一
十月の中旬から、またひとり、新しい生徒を受け持つことになった。此の塾に個別教室が出来てから三年、私は其の三年前からずっと、此処で時間講師をして居るのだが、受け持ち生徒は此れで二十人に達する程だった。集団クラスが中学部までしかなく、高校生は必然的に個別教室に移籍しなくてはならない。而も昨年辺りから、中学部の卒業生を積極的に個別クラスへと勧誘するようになり、其れが概ね成功していた御蔭で、生徒数はうなぎ登りに増えて居たのだが、そうした需要の拡大にも拘わらず、供給――講師の量が、絶対的に足りて居ないのだ。高校生の数学と云えば、私を含めて合計三人の講師しか居ないのである。其の中でも、私は最も出講可能な時間が多い為、小中高を問わず、数学と云えば先ず私に声が掛かっていた様である。
「高校一年の女の子で、ちょっと問題児なんだ。宜しく頼むよ」
室長は、私の嫌いな言葉を使って、其の生徒の説明をした。
「問題児?」
「髪染めてゝ、学校の成績も全然良くない。私立の生徒だ。中三までうちの集団クラスに居たから、塾には慣れている」
髪を染めていると云うのは、室長にとっては大問題である。其れだけの理由で強制退塾にして仕舞った生徒もいる。ただ、何故だか女生徒にはきつく当たることが出来ない様で、退塾にしたのも男子生徒であった。
其れは兎も角、室長が問題児と見做す生徒は、経験上、大抵は「心に何か引っ掛かりのある生徒」である。私はそうした生徒と接触することが嫌ではないし、寧ろそうした生徒は進んで受け持ちたいと云う変てこな気持ちさえあったので、一体どのような奴なのか、逢うのが殊の外楽しみであった。
彼女に初めて逢ったのは、彼女が入塾に関する書類を塾に直接持って来た、其の時である。ぱっと見て受けた印象は、
――こいつ、寂しい奴なのかな?
努めて明るく振る舞っている。然し、どことなく、ぎこちない。長年に亙って身につけてきたのだろう、ほゞ完璧に近く、「明るい莫迦」を演じているのだが、私には、其れが「演じモノ」であると判って仕舞った。自然と、伝わってきた。同類の所為かも知れない。
室長が書類の欠落箇所を書き込みながら、「おまえ、下の名前何だっけ?」
「アホ子」
「ははは、アホ子か、よし、そう書くぞ」
「……美羽です」
室長は笑っていたが、冗談を云っているときでさえ、彼女はクスリとも笑っていなかった。室長に対して、あまり佳い印象を抱いていないようである。にも拘わらず、一所懸命相手をしている。然し、心は完全にそっぽを向いている。其の対比が、見事ですらある。
――また、面白い奴が来たもんだ。
私は其の様子を横目で観察しながら、なんと莫し、微笑した。
やがて、書類の受理が終わり、室長が私を呼んで、
「おまえの担当の、山崎先生だ」
と彼女に紹介した。そして、私の方を向くと、
「彼女が、来週から持っていただく、楠木美羽です。高校……」
「一年です」
室長が言い淀んだのを、彼女がすかさずフォローする。私は辞令的な笑みを作って、「よろしく」と挨拶した。彼女は表情を全く変えないまま、「よろしくぅ」とあまり口を開けずに発声し、私の目を見た。他人の目を直視できる。それほど壊れていないと云うことである。然し、其の眼差しは浅かった。少し壁があるようだ。
美羽に関して、形式だけの入塾テスト(余程でもない限り、基準値など無視して入塾させてしまうのである)の結果を見ていたが、惨憺たる有り様であった。殆ど白紙に近い。点数にして、十点台である。そんなレベルの生徒は此の個別教室には吐いて捨てるほど居るので、別段驚きはしなかったが、実際にどの単元の何がどの程度解っていないのか……其れはテストの答案用紙からは何とも読み取れなかった。何にも解っていないのかも知れないし、極簡単なことで躓いているだけで、其れさえ越えればなんとかなるのかも知れない。其れは実際に授業をしてみないと、どうとも判断付け兼ねることである。室長に云わせれば「何にも解っていない」のであるが、寧ろ此の室長こそ「何にも解っていない」人なので、其の説明は何の参考にもなり得ない。
テストの答案を見せられたとき、「どう?」と室長に判断を求められたが、前述の様に如何とも云い難く、然し室長がどんな返答を待っているのか何となく察しがついて仕舞ったので、「全然ダメですね」と云ってみた。其の後で、さすがにそりゃないか、と思い直し、「まだ判んないですが……」と付け加えたが、室長は前半部分だけ聞いて、満足げに「そうだろう」と云って教室を出て行った。
美羽が英才高校に行って居るとは、前から聞かされていた。中学受験をしたのだと聞いた。受験して英才中に入った以上は、そこそこ出来る下地はある筈だ。然し、中学の評判に比較して、英才高校の方は、どうもぱっとしない。中学とて、英才と云う名称のわりには、べらぼうに高いレベルであると云うわけではないのだが、高校の落ちぶれ方は其れにしても非道いものがある。中学のレベルからして、高校は偏差値で云うと六十五くらいはあっても良さそうなものだが、実際には五十四程度である。
偏差値も、なかなか莫迦にできない。一部で、偏差値教育がどうこうと批判されても居るが、これがなくなると高校選択の基準が一遍に吹き飛んでしまって、生徒も教師も親も、どこを選べば好いか、どこを勧めれば好いか、全く見当もつかなくなってしまう。連立方程式もまともに解けないような子供が開成を受けたりしても、ほゞ百パーセント落ちるであろう。また、勉強が素晴らしくでき、医者になりたいと熱望する子供が、底辺の高校を受けても、満足な授業を得ることができず、医者への夢を断念せざるを得なくなってしまうかも知れない。学校のレベルによって、生活指導のキツさも変わってくる。また、入試で上から順番に合格者を出していく以上、其の高校のレベルと生徒のレベルとを比較検討して決めないと、受験料の無駄も多くなってしまうし、入試のあり方を変えて幅広いレベルの生徒を集めるべきだと云っても、頂点の生徒と底辺の生徒とでは、必要な授業形態も、密度も、全く違ってくるので、全く同じ授業を受けさせるわけにはいかない。我が国の偏差値教育は、かなり根が深いのである。「明日から偏差値を莫くすぞ」という掛声一つで、急に何から何まで変えてしまうことなどできるわけがないのだ。教師にしたって、一遍にいろいろなレベルの生徒を指導できるはずもない。其れこそ、今でさえストレスの多すぎる教員という職に、更に大きな胃潰瘍の原因を作り出すことになって仕舞うだろう。偏差値は必要な「基準」である。
話が横に逸れたようだが、とにかく、英才中学の偏差値は、上の下くらいに位置している。美羽の入塾テストからは、とてもじゃないけどそんな中学の卒業生であるとは、想像もできない。然し現に、美羽はそこを卒業している。つまり、其の中学に入学しているのだ。素質はあるのだ。要はやる気の問題だろう。或いは「やり方」かも知れない。いずれにせよ、その辺のところは、これからの授業で模索しながら追究してゆかねばならないことである。
一九九八年(平成十年)、六月、十一日、木曜日、先負。