てんさい! 楠木美羽

里蔵光

高校編

十三

私が楠木から信頼されているのは、傍目にも明らかだった。試験の点数が上がったのも其れが理由である部分が大きいし、点数が上がってからは尚のこと、私は彼女からの信用をより強く確保できているような気がした。

元々負けん気が強いのと義理堅い性格の為、最初は本当に「仕方なく」塾に通って勉強していた様な節があったが、次第に楠木は自分のペースを身に付けてゆき、今では塾を最大限活用できるまでになっていた。

学習塾と云うのは、勉強だけ教えていれば好い、と云う意見はあるし、そのように要求する父兄も多いし、また、其れは確かに其の通りである場合も多い。しかし、個別教室は、もしくは此の塾の此の教室は、いやもしかしたら私に限っては、其れは充分ではない。前にも書いたが、何の様な授業形態であれ、生徒と講師の間に信用関係が無いと授業など成り立たないし、此の様な個別教室では尚更、其れは重要なファクターとなってくる。そして其の為であるなら、我々講師はあらゆる手段を講じる。生徒と気さくに話すのも、成績が上がった時に大袈裟なほど喜ぶのも、時には若さ故の悩み事の相談に乗ったりすることさえ、大抵の場合計算の上での行動である。――などと書いて仕舞うと如何にも嘘で塗り固められた職業であるかのようだが、其れは半分当たっていて、半分外している。私たちは、計算の上でも行動をしているが、根が子供なので本当に心から欲して其れ等の行動を取っていることも少なくないのである。楠木が初めて高得点を取った試験の答案を持って来た時の私の態度も、本当は心からの行動であったと思う。然し、計算して行動しなくてはならないと常々考えているので、其の様な時でさえ、自分の行動が本当に本心からなのか、其れとも計算からなのか、自信が持てなくなって仕舞うのだ。此れは多くの講師や教師が陥りやすいジレンマであり、此処で迷えば自分の職務自体に自信がなくなって仕舞うか、あるいは根性が歪んで仕舞う。

私はジレンマに陥らない為に、あまり自分の行動原理に関しては追求しないようにしていた。そして、心の要求であれ、職務の要求であれ、其れ等の行動を取るに当たっては常に真剣に、そして愉しむことをも忘れなかった。其れが長く此の大層な職を続けてこられた秘訣である。――秘訣などと大袈裟な、今年度いっぱいで退職する心算ではないか。そう、私は今年度いっぱいで退職する。然し、其れは自分の幅をもっと広げるためであり、視野を……いや、其れは矢張り云い訳である。私は疲れた。二年前から既に疲れていた。疲れていたからこそ、私は、自己追求を避け、足元を見ずにそーっと綱渡りをしてきたのだ。今年度いっぱいで辞める。やっと辞められる。――然しこんな気持ちを前面に出して授業などは出来ない。生徒は鋭いので講師の心の内など簡単に見通してしまう。一体に、どうして子供というものはあんなにも鋭いものか。御蔭で私は、自分を騙してまで其の気持ちをカモフラージュせねばならない。決して悟られてはならない。プロであるために、私は大嘘を突き続けなければならない。其れが更に私を苦しめるのだ。

楠木は夏休み前に英語の受講を辞めた。室長が清々した顔をしている。私は其れが妬ましい。――いや、室長は別に清々した顔などしていなかったかも知れぬ。私の僻みが其の様な虚像を見せただけに過ぎぬのかも知れぬ。――それでも妬ましいものは妬ましい。いやいや、楠木が厭なわけではない、あいつは気持ちが好いくらいに佳い奴だ。そうではなくて、私は単に、荷物を下ろした室長に嫉妬しているだけなのだ。私はあと数ヶ月も大量の荷物を背負い続けなければならぬのだ。受験生だって幾人も居るのだ。室長だって多くの授業を持っているし、抑々(そもそも)管理者なのだから其れなりの荷物を背負っているのだろうが、然しあの清々しい顔を見ると矢張り妬ましく――あゝいけない、こんなことでは生徒に感づかれてしまう。平生を……

「おぃーっす! きたよー」

「おまえはいかりや長介かっ!」

楠木が来た。授業が始まる。私は心にぶ厚い鎧を着け、楠木はおろか、自分自身からも其の内側を窺い知ることの出来ない様にする。二学期の中間考査が近いのだ。三流作家の懊悩ならネタにもなろうが、塾講師の迷いなどは糞の役にも立たない。ユングじゃないのだから自分の影に怯え続けることで食っていくことなど出来ぬのだ。

此の時期の楠木は、いつもの如く脅威の集中力である。此方もつられて集中力が高まる。ベクトルの演算を解説し、練習させて、問題を解かせる。飲み込みはあまり好くないが、本人は抑々理解出来ないことを苦にしていない。理解出来なくても体で覚えられるのだということを知っている。職人肌である。勢いこちらも、習わせるより慣れさせることに重点を置く。此れが面白いように身についてゆく。楠木には個別教室のシステムが一番適しているのかも知れない。一斉授業では如何に優秀な教師の許であっても、こうは行かないだろう。一斉授業では多数を導かなければならないからより一般的な方法を取らざるを得ない。

問題が解き終わったようだ。採点を試みる。まだまだ慣れが足りなかったようで其処此処にバツがつく。慣れていない部分を再度解説し、今解いた問題を誘導して解かせ、そして類似の別の問題に挑戦させる。何度も繰り返すが、楠木の学習は記憶と慣れのみで構成される。理解は重要ではなく、時には皆無でさえある。そうやって今までやってきて、そして此れからもそうやって生きてゆくであろう。彼女は通訳になりたいと云っていたが、其れはこうした学習形態を取っている以上はやはりベターな選択である。語学者、文学者では不可い、理解よりも慣れと記憶に頼っている以上、机上の研究者ではなくて現場の実践者になるしかない。

そう云えば、中学時代の楠木には「よきライバル」が居たそうである。あまり詳細には聞いていないのだが、どうやらそのライバルは「理解」に重きを置くタイプのようで、私は彼女に対して多少の興味を覚えた。私自身、中学時代に「なぜ直線のグラフは直線になるのか」などと云う疑問を持ったことはないのだが、彼女は其の疑問を口にしたのだそうだ。当時彼女の成績は低迷していたそうで、楠木の分析通り、其の疑問が足枷になっていたことはほぼ間違いないだろう。中学の数学でそんな疑問を持って仕舞っては、先に進めなくなってしまうのも当然である。

そもそもなぜ直線になるのかの説明は、教科書に一応は載っているし、教師だって一応の説明はしている筈である。然し私は、気がついた時には「そういうものなのだ」と無批判に受け入れていた。生徒としては理想的態度だが学徒としては失格である。だが実際、納得して理解した記憶が無いのだ。なんだかなし崩しに「これこれこうなってこうなるからこうなる、ほーらこうなった、じゃあ次の問題を……」などと云う感じで進められてしまったのだろうと思う。問題を解く内に其れは当たり前のものとなっていた。此処で私は、理解ではなく、慣らさせられて仕舞ったわけである。

私は、彼女が()の様にして其の疑問を克服したのか、(とて)も興味があった。然し其れは、楠木に訊くべき質問ではない。ライバル本人に訊かなくてはならない。だけど私は彼女とは一切の面識が無いし、連絡手段も持たない。

其処迄考えて、私は不図あることを思い出し、テキストに挟んであった紙片を取り出して、問題を解き終わって一段落突いている楠木に差し出しながら、

「あのさ、話変わるんだけど……これ、田中から預かってたの、忘れていた。ごめん」

「なにこれ? いつもらったの?」

私は悪戯が見付かった時の子供のように、だらしなくエヘヘと笑った。

「なんか、手紙らしいんだけど……一ヶ月ぐらい前かなぁ、渡してくれって頼まれていたのに忘れていたんだ。マジごめん」

「あー、こずえからだ。……てゆうかせんせー、それって古すぎだよ! まじ、信じらんない、この男っ」

真剣に怒っているようではないのだが、確かに一ヶ月はひどすぎである。

「ほんとごめん。ごめんって」必死である。

「まあいいよ、そんなことより先進めてっ」

試験前だから此れで済んだのだろう。試験後だったら、散々ネタにされて笑われていたかもしれない。――何故だか、怒られはしないような気がする。さて、どうだか。

ところで私は、楠木のライバル――こずえと云う名の少女に質問が出来ない代わりに、自分がもしも中学生に其の様な質問をされたら、何の様にして説明したものか、慣れではなく理解させるためにはどう説明しなければならないか、どうすれば理解しやすいか、其ればかりを懸命に考えるようになった。――結局いまだに、満足のいく説明は出来ずにいる。時々自分が本当に其れを理解しているのかさえ怪しくなってくる。慣らされたきり、未だに正しく理解していないのではないかという気がしてくる。――不安になると微分を使った説明を試み、当然ながら其れは概ね成功するのだけど、其れは決して中学生に理解させられる説明ではない。微分の説明から始めると云うのもダメだ。兎に角中学生がパッと自然に理解出来るようにする為にはどうすべきか。

幸いと云うか残念ながらと云うか、私の短い塾講師稼業に於ては、中学生から其の様な質問をされることは唯の一度も無かった。

二〇〇二年(平成十四年)、十二月、二十八日、土曜日、大安。