てんさい! 楠木美羽

里蔵光

中学編

二学期の成績は4でした。期末テストで、物凄い伸びを見せたのです。こずえも頑張っていたのですが、私の勉強時間はこずえの其れを大きく上回り、結局こずえを置いてきぼりにして、どんどん一人で突っ走っていました。

親と塾の先生の共通の口癖は、兎に角何でも(かん)でも覚えろ、と云う事で、英単語、漢字、年表は元より、数学の公式、解法、理科の公式、解法、何でも(かん)でも、唯々、暗記を続ける毎日で、実際其れで、点数がとれたのです。平川先生だけは、暗記だけじゃダメだ、ちゃんと理解することを怠ってはいけない、と、折に触れて云って居たのですが、然し両親のスパルタは、只暗記だけに的が絞られて居て、私もいつか、暗記のコツを身に付けて、兎に角()の教科でも、暗記だけで乗り切っていて、そして其の結果、二学期の4、三学期の5と、奇蹟の大躍進をする事ができたのです。

「どうしてそんなに点数がとれるの?」

いつかこずえが、そう訊いてきました。

「全部、丸暗記してるから……」

「そう……」こずえは何だか、割り切れないような顔をして、「でも、暗記だけじゃ、気持ち悪くないの? 例えばさ、なんで y = ax が直線になるのかって、美羽、解る?」

私は返答に窮しました。そんな疑問は、持ったことも莫かったからです。

「なんでって、そう決ってるんだもん、其れで好いじゃん」

こずえは複雑な表情をして居ました。――後になって思えば、私とこずえの此の違いが、二人の人生の違いとなって、大きく影響してきたのでしょう。然し此の時の私は、唯こずえのそんな疑問に対して、莫迦々々しいことを気にするんだな、と、(いさゝ)か不愉快の念を抱いただけでした。そして其の疑問は、確実にこずえの成績の伸びを邪魔して居た様に見えたのです。

何はともあれ、最高の結果を残す事ができて、親にも認められ、そうして私は、二年に進級しました。そして最初の学力テストでも、クラストップと云う、私には華やかすぎる程の結果を出し、平川先生を(その年はクラス替えもあって、担任が代わっていましたが、国語の担当は代わらなかったのです)仰天させました。

「本当にクラスのトップになったのか!」

平川先生は、国語の授業後に私を廊下に呼び出して、そう云った切り、言葉が続かずに、私の目を凝然(じっ)と睨み付けて居ました。私は得意気に踏ん反り返って居ましたが、先生は何だか、複雑な目で私を見て居ます。私は稍不愉快になり、先生の目を無意識的に睨み返すと、先生はそっと瞼を閉じて、軽い溜息を突き、変な笑い方をして、そうして「よく頑張ったな」とだけ云って、私の肩を叩きました。此の時になって、私は自身の変化に気付きました。

――下品だ

親なら兎も角、他人を睨み付けたことなど、私の記憶の限りでは、(かつ)て一遍たりとも莫かった筈です。其の私が、よりにもよって平川先生を睨み付けるなど、私としては大変なショックで、平川先生の寂しそうな背中が教室を去って行くのを目で追いながら、無性に申し訳なく、心細く、悲しくて、泣いて仕舞いそうになり、然し其れをグッと押し止めて、知らぬ振りして、教室へ戻りました。

此の頃から親の監視も緩くなり、私は今更のように、遊ぶことを覚え始めました。学校も幾度かサボったし、授業に出たとして、先生の話は全く聴かず、ノートも取らず、教科書を閉じた儘で、ぼーっとしていたり、寝ていたり、其れでも私にはクラストップと云う免罪符があった為、誰からも何も云われず、(むし)ろ人は私から遠離(とおざか)ってゆき、こずえとも其の頃は余り会話もせず、休み時間にも教科書を開いて、一所懸命勉強しているこずえを尻目に、ふらりと学校を抜け出して、そうして夜まで帰らないなどと云うようなことも、幾度となくありました。

唯、塾にだけは、ちゃんと通っていました。然し其れは、勉強の為なんかでは決してなく、其処に通って来て居た小学校時代からの沢山の友達だけは、未だ私を見捨てゝ居なかったから、だから、私にとって唯一(くつろ)げる場所である塾へは、欠かさずに通って居ました。

――然し、塾に真面目に通い続けた一番の理由は、実は恋の所為だったのかも……なんて云ってはみたものの、こうして改めて言葉にしてみると、矢っ張り何か違うような気もしてきます。幼く、愚かしい恋でした。いえいえ、「恋」と云う言葉すら、(そぐ)わないような、そんな、中途半端なものだったのかも知れません。

兎に角塾だけは、私にとって、決して欠くことの出来ない「憩いの場」だったのです。だから、私にとって最もキツイ一言は、お母さんの此の言葉でした。

「あんたね、そんなに遊んでばかり居たら、塾やめさせるよ」

お母さんは、私の中での塾の位置付けを察していた様で、何か喧嘩する度にそんなことを云って、そして、察して居たからこそ、――私が其れで、(たちま)ち敗北宣言をして、従順になって仕舞うと云うのもありましたが――いつも脅すだけで、行動に移すまでの事は莫かったのでしょう。御蔭で私は、紙一重のところで、何とか(かん)とか平生を保って居られた様です。

ところで、私の幼い恋の相手は、いつも其の塾に来ていました。――然し、相手の名前すら、私は知りません。今でも判りません。兎に角いつも、塾に居た様です。多分一つ上の学年で、そうして殆ど毎日の様に塾に来て自習していたらしく、私はいつでも其の人と逢うことが出来ました。――でも、声を掛けることは出来ませんでした。私は其の様なことに関しては、極めて奥手なのです。一緒の自習室に入って行く勇気も莫く、いつでも部屋の外から、用も莫いのに其処で勉強している友達に声を掛けて、意味もなく大声で騒ぎ、賢明に自己主張して、時々其の人が(うるさ)そうに此方(こちら)を見挙げて、そうして目と目が逢ったりすると、変にドキドキし出して、けれどもそんな内心を悟られたくなくて、更に(やかま)しく騒ぎ、(いず)れ先生に見付かって大目玉を喰らうまで、毎回そうして騒いでいました。私のこんな淡い想いは、当時誰にも打ち明けないで居ました。どんなに親しい友達にも、決して云いませんでした。柄じゃないと思って居たのです。恋だなんだと云うものは「少女趣味」だと断じていて、そうして己の此の感情を、みっともなく恥ずべきものとして、ひた隠しに隠していたのです。

其れでも、其の人のことがいろいろと気になるので、こっそりと自分で調べようとしたこともあります。然し私一人の器量では、中々調べようも莫く、唯一つだけ判ったのが、彼が()のクラスに在籍して居るのかと云う事だけでした。彼が自習室に居ないのは彼のクラスの授業のあるときだけで、其れは三年生の一番上のクラスであると云うことは直ぐに判りましたが、然し其れ以上のことは、彼の名前すら判明しないのです。彼が友達と居るところをまず見た事が莫いし、自習室で逢うだけでしたので、先生が彼の名を呼ぶ光景すら私は見た事がありません。だから私にとって其の人は、何時まで経っても「自習室の彼」の儘でした。其れ以上の進展もなければ、恋心の衰退もありません。いつまでも同じ、淡い想いの儘、初めて其の人に気付いた中一の秋頃から、其の人の卒業して行くまでの一年半ほどのあいだ、私は本当に「少女趣味」な恋の為だけに、唯其れだけを楽しみに、塾に通って居たのです。そして学校の授業と同様、塾の授業にも全く気持ちが入らず、流石に塾で寝て居ては先生に殴られ兼ねないので、取り敢えず起きては居たのですが、終始(ほう)けて居て、時々指名されては「解りません」と答えるだけでした。頭の中は、別段あの人のことを考えて居たというわけでもなく、何を考えて居たかさえよく覚えていませんが、然し授業がおわると、教室から出口までの途中にある自習室を、友達に覚られないようにそっと横目で見て、何時でもあの人は其処にいて、そうして私は満足して、帰途に就くのです。

学校でも塾でも、此の様に心此処に在らずと云う様な状態でしたので、直ぐにも成績が急降下して、再び底辺に戻ったとしてもおかしくはなかったのですが、不思議なことに、其の頃は未だ家で続けられていた親の指導だけで、何とか現状を維持していくことが出来ていました。そして私は、なんだ、中学というものは、こんなに簡単なものなのか、と云う感想を抱いて仕舞い、勉強というものに対して、益々緊張感を失っていったのです。

一九九七年(平成九年)、四月、三日、木曜日、先負。