てんさい! 楠木美羽
里蔵光
中学編
七
こずえの云った言葉は、其の後数个月間、私の心を支配し続けました。人生に干渉しようとなんかしていません。そんな心算は莫かったんです。本当に。でもこずえは、私をきつく睨みました。二度と顔も見たくないと云われました。愈々私は、絶交されたのです。
其れから一年間、私達は一切口も利きませんでした。目を合わせることさえしませんでした。本当は、一刻も早く仲直りしたかったのですが、然しそんな気持ちとは裏腹に、変に意地を張って、こずえを避け続けていました。こずえは受験勉強に忙しく、私はフラフラ遊び歩いていると云う、境遇の違いも、私たちの間の溝を深めてゆく一助となっていたようです。本当に、友情なんてものは、砂で作ったお城か何かのように、信じられないくらいに脆く、悲しい程情けないものなんだと、嫌と云うほど実感させられました。
全く味気ない一年間でした。だから、たいして語るようなことも莫いんですが、唯一つだけ、書いておかなければ不可いようなことがあったので、それだけをここに書いておくことにします。
中学生活最後の冬が近付き、こずえの受験勉強も愈々佳境を迎え、街はクリスマスの前準備に慌たゞしく、私は友達と誘い合ってパーティーの計画などを呑気に立てゝいるような、そんな十一月の末のことです。私達、内部進学組は、もう八割方高校生になって仕舞ったような気分で、実際高校の学習内容を、幾らか先取りで済ませて仕舞っていたと云うのもあるのですが、内部進学者の性質として、通う所も殆ど変わらない、隣り合った校舎ですし、卒業しても数週間後には、今迄と全く同じ仲間と顔を合わせることになるのだし、どうも中学と高校との明確な境目を実感できずにいると云うのが殆どなのでしょう。尤も、其れは多分に高校進学後に感ぜられるものなのですが、然し私達の心持ちは、既に高校生になったようなものでした。高校に進学できないような人も年に数人はいるようなのですが、其れは余程特殊なケースで、少なくとも私のような生徒でさえ、間違いなく進学できるのですから、猫も杓子も中高一貫校へ入学したがる現状と云うのも、当然と云えば当然です。
そんな話はさておき、其の当時のことを少しお話ししておきます。
私達の中学にも、他の学校並みに「図書室」と云うものが存在していました。私は本など全く読みもしないし、また、図書室のあの独特の空気が大の苦手で、其処で勉強するなどと云うことは先ず考えられなかったので、入学して已来一度も足を運んだ事も莫く、従って何処に在るのかさえ今一よく判っていなかった程なのですが、或る日の放課後、クリスマス・パーティーの宣伝の為に初めて図書室を訪ねる必要が生じ、幾人かの友達と共にワイワイはしゃぎながら、いつも其処で勉強する習慣のある、矢張り内部進学組に属する友達――貴子――を捕まえに行ったのです。
図書室の中は息苦しい程にしんと静まり返っていて、勢い私達も其の空気に圧倒されて仕舞って言葉少なになり、ヒソヒソと低い声で二言、三言、必要最小限の言葉を交わしながら、一年の時の同級生で今では選抜クラスと云う名誉なクラスに昇進してしまった貴子を探して、室内を彷徨いました。然し、図書室の中は意外に広く、複雑に入り組んでいて、私達は程なく迷子に近い状態になり、途方に暮れてしまいました。通路の左右に聳え建つ、堅牢な作りの本棚は、自分たちが今いる場所の目印には全く役立って呉れず、
「ここ、どこ?」
「わかんない」
「さっき通らなかった? この辺って……」
貴子を探すどころではなく、どうやら出口に辿り着くことさえ怪しくなってきました。私達はその場に立ちすくみ、大袈裟でなくなんだか恐ろしくさえなってきて、思わず私は、
「たかこお
と叫んでいました。周りで本を探していた人達が、怖い顔をして、一斉に振り返ります。友達が彼等に、すみません、ごめんなさいと、頻りに謝り、私も一緒に謝りながら、そそくさとその場を後にしようとしたとき、私の前に突然立ちはだかった人がありました。――こずえでした。
「あんた、うるさいよ」
もの凄い形相で睨み付けながら、低い声でそう云われたとき、私は思わず一歩後退り、そうして、涙が出てきそうなのを賢明に堪えねばなりませんでした。
「……ごめんね」
やっとのことで其れだけ云い、私は脱兎の如く駆けだして、こずえの「走んなよ!」との声を背中に聞きながら、一体何処をどう走ったのか、如何やら図書室からの脱出に成功していました。
結局貴子を探し出せない儘図書室を出てしまい、かと云って再び探しに入るのも流石に気後れがして、後から私を追って出てきた友人たちと共に入り口の辺りで途方に暮れていると、今先刻の騒ぎを聞いていた貴子が、程なく私達のところまで態々出向いて来て呉れました。
「なんか用なの? 図書室で騒いじゃダメだよ」
諭すような口調でそう云われ、私は恥ずかしさの余り、耳まで真っ赤になって仕舞いました。言葉も発せない程動揺し、怯えきっている私の横から、友達がクリスマスパーティーのことを説明し、其れを聞いて貴子はぴょんぴょん跳ねながら、
「クリパ? クリパ? いく、いく~! 何時、どこ? 誰が来るの? 絶対行くからねっ」
此れで私達の用事は済みました。
図書室で大声を張り上げ、そうしてこずえと気不味い遭遇を果たしたところを、一緒にいた友達は元より貴子にまで一部始終目撃されていたかと思うと、どうにもバツが悪く、私はずっと顔を背向けた儘小さくなっていたのですが、用件が済むのを見届けて、ほっと小さな溜め息を突き、「じゃ、クリパでね……」と云ってその場を早々に立ち去ろうとするのを、然し貴子は優しく引き留めて、
「こずえと喧嘩してるの?」
貴子が知らない筈はありません。学年で、私とこずえが仲違いして仕舞ったことを、知らない人があったでしょうか。仲違いしたのは、もう半年以上も前のことです。お互い変に余所余所しく、傍目にも其の突然の変化は明白過ぎるくらいだった筈です。然し、今まで面と向かって其の事に触れた人は、只の一人もいませんでした。
私は小さく頷き、そうして其の儘顔を挙げることが出来なくなりました。
「二人とも、バカだよね」
貴子は妙に大人びた口調で、溜め息交じりにそう云いました。
他の友達のいる前で、あまりつっこんだ話はしたくありませんでした。其れは強がりであり、恐怖心でもあり、兎に角私は、くるりと背を向けて其の場を逃れました。貴子が追いかけてきてくれゝば話をしようと思って、校舎の隅の誰も来ないようなところまで行きました。――でも、貴子は追いかけて来て呉れませんでした。暫く其の場で踞って、膝を抱えて頭を垂れ、然し泣いているのではなく、ぼんやりした頭で、白昼夢を追いかけている様な、なんだか腑抜けた心持ちでいました。
辺りに人の気配は全く莫く、しんと静まり返り、何処か遠くの教室から、生徒たちの喧噪が、風に乗って運ばれてきます。風の調子が変わる為か、其れは強くなったり弱くなったりして、空っぽの頭の中でわんわんわんと反響しています。胸の辺りが妙に虚しく、なんだか離れ小島に一人漂流したみたいな気持ちで、喧噪はいつか、波の音か木々のざわめきの様に聞こえ出し、身体がふっと軽くなったような錯覚に陥り、膝を抱いていた左腕がかくんと滑って、そうして私は、はっと目を覚ましました。
いつの間にか、寝ていたようです。既に陽は落ち、遠い喧噪の音も止んでいました。怠い体を起こし、軽く伸びをして、さて帰ろうかと思ったとき、鞄を持っていないことに気付きました。図書室に置いてきたようです。腕時計を見ると、七時近くになっていました。まだ開いているかしらと、図書室までトボトボと歩いて行くと、間一髪、今将に扉が施錠されようとしているところでした。
「すみません! 忘れ物があるんです!」
そう云って鍵を締めている人の横を擦り抜けて行こうとして、ぎょっとしました。其れはこずえだったのです。
「鞄だったら、ここにあるよ」
こずえはぶっきらぼうにそう云い、鞄を放って寄越すと、ドアに挿した鍵を回しました。かちゃんと云う音がして、そうして鍵を引き抜くと、目も合わせずにそのまゝくるりと背を向けて、歩き出していきます。
「こずえ……」
がらんとした廊下に、私の声が響き渡り、然しこずえは立ち留まろうともせずに、ペタペタと上履きの音をたてながら、ずっと歩いて行って仕舞いました。
それっきり私達の仲は回復することもなく、私は劣悪な成績だったにも拘わらず無事進学を果たし、こずえも、公立の高校へ上手いこと入学を果たしました。私とこずえと、お互いの心に残した小さな不思議な滓は、其の後決して消えることはなく、然し、時と共に其れは「思い出」という異質なものへと少しずつ変化してゆき、其れと歩調を合わせるかのように夫々の高校生活が、強引な時の流れに乗せられて、此れから将に始まろうとしているのです。
一九九八年(平成十年)、五月、十五日、金曜日、大安。