百の八
酔っぱ版モンキーズ列伝・なめんな1号!

里蔵 光

私の勤める個別学習塾では、生徒が休んだ場合、振替の授業を行う。原則として、生徒の身勝手で休んだ場合には、振替はしなくていいのであるが、然し、生徒の状況を考えると、そんな悠長なことは云って居られないのが実情であり、寧ろ振替をしない方が珍しい。其の結果、()の講師も、毎週の如く振替授業があり、スケジュール管理に神経を使うこととなる。

 

此処に、モンキーズ1号なる異名をとる高一の生徒が在る。彼女は、其の学力よりというよりも、寧ろ性格一般から、そのように名付けられた。そして本人、困ったことに、サルの自覚があり、其れを苦にもしていない。――モンキーズ1号以下6号まで、悉く斯様な調子なのである。

然し彼女は、其れ等6人のメンバーの中でナンバーワンの座を有するだけあり、なかなかに傑出したキャラクターである。まさに、サル、そのものである。

先日、やむを得ぬ事情で今度の授業を休みたいと、1号から塾に電話があった。学校行事の都合なので、致し方ない。私が電話にでて、早速振替の日程を決める。

「今度の土曜日の、4時50分からで好いか?」

「はーい、いいでーす」

「そうそう、其れと、次の週も祝日だから、振替えなくちゃならないんだ。此れは、来週の土曜日の、同じ時間で好いな?」

「はい」

「じゃあ、今度の月曜と、次の月曜は休みで、今度の土曜と、来週の土曜の4時50分から……」

「あ、ちょっと待ってくださいー。メモしますから――はいはい、好いです、なんですか?」

1028日と11月4日の授業は休みで、……」

「はいはい……」

「振替が、11月2日と11月9日の4時50分から6時10分まで」

「はいはい……、はい! わかりましたー」

 

11月2日、私は、他の生徒の振替のために、2時前に教室に来ていた。最初の生徒は、四谷受験生である。なかなかにしんどく、中学受験否定派の私としては、辛いものがあるが、明るい授業を心懸けている上、授業中は主義どころではない。兎に角、初等幾何にすらなっていないような平面図形と、年齢算なるものを、只管に教授する。80分は、あっと云う間だった。

此の後私は、1号の4時50分まで空いていた。此の間に時間給のつかない様々な雑務をこなし、余った時間は近所のファーストフードで時間を潰す。そして、10分前くらいには、教室に戻っていた。1号は未だ来ていない。

1号は、普段から遅刻が多い。何度云っても、私に凄みが莫い為か、彼女がサルな為か、一向に改善しない。此の日も、50分を廻っても彼女は現れなかった。

「またか」

室長が、笑いながら云った。私も、10分くらいの遅刻は覚悟している。然し、15分経っても、1号は現れない。15分迄は待ち、其れを過ぎたら、自宅に確認の電話を入れるという習慣がある。私は、職員室に行き、電話を取った。母親が出た。

「こんばんは。○○塾○○校個別の杉本ですが……」此処迄は、マニュアルの挨拶である。「今日、4時50分から、振替授業があるのですが、××さんはもう、出られましたでしょうか?」

「あら、一端学校から帰って来たんですが……塾は6時40分からだと云って……」此処で私は、おや? と、思った。ヒヤリとした。自分が、時間を間違えて伝えたのだろうか……母親は続ける。「其れで、部活に出掛けていったんですが……未だ帰って来てません。直接行くかもしれないとか云ってましたが……」

其の間私は、懸命に記憶を辿っていた。スケジュール表を見た。6時40分という時間は、平日の時間割りである。土曜日にそのような時間はない。私のスケジュール表は、土曜日の分はしっかり区別してあるので、どう考えても間違えて伝える筈は莫かった。

「其れでは、時間を間違えてるんですね……」

「えゝ、本人は、6時40分だって云ってたので……すみません……其の内、帰って来ましたら、電話させますので……」

「そうですか……では、お待ちしております……」

電話を切る。元々1対1の授業なので、1号が来なければ、私は暇である。雑務も大方片付けてしまっていたので、することが莫い。――無性にイライラしてきたが、取り敢えず、気持ちを落ち着かせる為、私は喫煙室に行って、セブンスターに火を点けた。

煙草1本など、直ぐに吸い尽くしてしまう。あと1時間、如何して時間を潰そうか……私は、僅かに残っていた事務を始めたが、然し、次第に頭に血が上ってきて、どうも、集中できない。如何したら、4時50分が、6時40分になり得るのだ。既に私は、自分が間違えて伝えたかも知れないと云う疑念は、完全に否定して居た。予定表には、しっかり、4時50分の所に1号の名がある。如何様にも、間違え様が莫い。――此の1時間は、私には異様に永く感じられたが、其れに比して、雑務の方は一向に(はかど)って居なかった。

 

(やが)て、事務の女性から呼ばれた。

「××さんから、お電話です」

1号だ。私は殆どキレた状態で、電話に出た。

「はい、替わりました」口調に、精神状態が如実に顕れた。本来なら、名を告げるところであるが、そんな余裕は莫かった。

「すみませんー」

「あ?」我ながら柄が悪い。

「ごめんなさいっ! 間違えてましたー!」

「あ?」

「せんせー……」

「何じゃ!」どうも私は、機嫌の迚も好いときと悪いときには、下手糞な関西弁が出てくる。

「4時50分って云うたよな?」

「はい!」

「ちゃんと、メモしとったよな?」

「はいっ!」

「何で間違えるんじゃ!」

「ごめんなさいー」

「ちゃんと、4時50分て、書いたんやろ?」

「はいっ、ちゃんと、4時50分って書いてありました」

「何で4時50分が、6時40分になるんじゃい!」

「ごめんなさい」

「……まあ、まあ、ええわ、取り敢えず、『忘れてた』とか云うのんは、振替え莫しって、云うとったよな!」

「え?」

「え、や、ないっ! 今回の分は、振替え莫しじゃ! そう、云うとったろが!」

「せんせー……」

「何じゃ!」

「振替えないのー?」

「忘れたんは、どいつじゃ!」

「……あたしです」

「そやな、振替え莫しじゃ」

「せんせー」

「時間忘れて、こなんだのは、何処の何奴じゃ!」

「あ、あたしですー……」

「莫しじゃ! わかったな!? 振替は、せえへん!」

「……其処を何とか……」

「莫い云うたら、莫いっ! ――あゝもう、ぶちきれそうじゃ!」

「……はーい……ごめんなさーい……」

「だいたい、何処を如何押したら、4時50分が6時40分になるんじゃ」

「なんででしょうねー」

「あ!?

「あ、はいはい、ごめんなさいっ!」

「兎に角、今回の分は莫しっ! 残念でした。――来週は、絶対に忘れんなや!」

「はーい……」

「其れと、……今回潰れた分、取り返すためにも、しっかり勉強しとき!」

「はーい……」

「はい、じゃあ、さよなら!」

「さよならー」

散々怒鳴り散らして、多少、落ち着きを取り戻した。1号も可成恐縮して居たので、今後二度と、斯様な事態は莫いとは思うが、然し其処は其れ、相手はサルの中のサルだから……稍、不安では、ある……

(つゞく)

96/11/06 (水) 05:43