光の百物語
――永き眠りより醒める
里蔵 光
「功多…………滝口功多……」
あゝ、またあの声だ。かつて、この俺に「百の物語をしろ」と命じた、あのギリシャ神話の、エウリディケだ……
「功多、目を醒ましなさい! いつまでも寝ていてはいけません!」
よせ! 俺に命令するな! ――一体どれほどの月日が流れたのだろう……目を開けるのが怖い。前のあの真白き世界は、俺が物語を十三ほどしたきり、消え失せてしまった……屹度俺は、死んだのだ。愈々俺は、死んだのだ。死んだ奴が目を開けられるものか。ほっといてくれ……
「功多……覚醒しているのですね……あなたに、今一度、時間と場所を与えます。――そのまま、凝然としていなさい――」
一瞬、目映いばかりの閃光に包まれたのが、目蓋越しにも判った。
「余計なことをするな! ほっとけよ! おまえも好い加減、オルフェウスの許へ帰れ!」
「オルフェウスは死にました」
エウリディケの声は随分遠いところから聞こえた気がした。其れは全く抑揚をもたない、金属質で憂鬱な響だった。俺は思わず、目を開いた。
「お目覚めですね」
エウリディケの恐ろしい笑みは、目の先三寸ばかりの所にあった。ギョッとして飛び退き、身構えた。
「さあ、取り敢えず此処で、続きをやりましょう。――いずれまた他へ移るかもしれませんが、今は兎に角、此処でやってもらう必要があるのです」
エウリディケは腰を落ち着けたようだった。
「まてよ……ちょっと待ってくれ……えっと……少し猶予をくれないか……」
然し彼女は、それっきり何も云わなかった。只凝然と、俺の目の奥の奥まで、瞬きすらしないで、突き刺すように見詰めている。俺は観念した。あと八十七話。どうでも今すぐ、此処でおっぱじめるより他なかった。
「わかったよ……仕方ねぇ……」
エウリディケは、少し微笑んだようだった。背中に汗が一筋流れるのを感じた。
(つゞく)
97/07/19 (土) 23:32