百の拾六
うみへび座

里蔵 光

春の空の低い所に長々と体を横たえているのは、明るさも知名度もイマイチのうみへび座です。コップと(からす)を背に載せて、悠々と揺蕩(たゆと)うております。

うみへび、と名付けられてはいますが……星図を見たことのある方ならお判りかと思いますが、あれはうみへびなどではあり得ません。では何か? 地元の水族館などで何か似たような者に出遭ったことはありませんか? そう、諸賢のご推察通り、あれは海のギャング、(うつぼ)に他ならないのです。いい加減なことを言っているのではありません。あれはウツボです。鱓のツボ子です。

そうです、女の子なのです、鱓の。そのような者が何ゆえ星座になれたのか? それには深くて哀しい訳があるのです。

元々ツボ子は、須磨のさる施設にある水槽に()んでいました。――えゝ、誤魔化しは利きませんね。その通り、須磨水族園、略して「スマスイ」にいたのです。そこには同族のツボ夫、ツボ美、ツボ六といった仲間もいました。四匹は表向き仲良く暮らしているようでしたが、ツボ子は内心穏やかではありませんでした。それと言うのも、彼女はツボ夫に恋をしていたのですが、当のツボ夫はツボ美に夢中で、ツボ子のことなど眼中に無かったからなのです。ツボ美もツボ夫と心を通わせているようで、どうにも入り込む隙さえないのです。そんなツボ子にツボ六が時々声を掛けてくれるのですが、冴えないツボ六の求愛などは元よりお呼びではありません。ツボ六にしてもツボ美に相手にされない寂しさからか、どうも自棄(やけ)ッ八でツボ子に近付いてきているようなのです。

彼女はこんな生活に厭気(いやけ )が差し、或る日とうとう家出を敢行してしまいます。果たして水族園の水槽から、一体どのようにして抜け出すことなど出来たのか、当のツボ子自身にさえよく解っていないのですが、只もうがむしゃらに泳ぎ、泳いで、泳ぎ続けていたら、偉いものでいつの間にか瀬戸内の海に辿り着いていました。しかし水槽の中で生まれ育ったツボ子には、それが海であることさえ判らず、その後も夢中で泳ぎ続けていたら、いずれ太平洋へ出て、それでも延々ひたすらに泳いでいたら、何をどう間違ったものか、いつか天空の星々の間を泳いでいたのです。水が無いため息も出来ず、力尽きようとしていたその時、哀れな姿が神様の目に留まり、応急措置としてツボ子は星座になってしまったのです。

彼女が今、幸せでいるかどうかということだけが、唯一つの気がかりですね。

(つゞく)

2020/8/3 (月) 00:17

令和二年 明石市天文科学館主催 てんもん文芸祭オリジナル星座物語 入選作品