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---------------- F文学 第2回・お話バトル参戦作品 ----------------
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「武蔵野独り歩き」
(お題 *「あっ」)
里蔵 光
(埼玉県の地図を片手にお読みください)
「あ」
気が付いたら、終点だった。酔いで火照った体には、此の冷たい風も心地好い。――そうだ、私は酔い潰れたのだ。松戸駅前の彼方此方に、胃の中の物を撒き散らした挙句、橙色の電車で深い睡りに就いたのだ。そして、北朝霞で目を覚ます心算だった……
此の土地へ来るのは二度目である。前に来た時には、反対方向のホームへ行って、二駅手前の北朝霞まで戻ることが出来た。私は時計を見た。0:30。
「あっ」
これは……と思ったが、一先ず御不浄へ行き、目を覚ましてから、構内の時刻表を見る。
「ああ……」
諦めて、清算して、外へ出ながら、私は財布の中身を確認した。千円札が2枚と、小銭が幾らかある。冷たい風がさっと吹き、私は一つ、くしゃみをした。
「二千円じゃ、半分も行けないね」
運転手は冷たく云い放ち、私は絶望して後の客に車を譲った。タクシーなどと云う文明の利器は、私には利用する資格すらないらしい。北朝霞まで、線路沿いに二駅だ。私は嘗て、松戸から上野まで、態々遠回りをして歩き通した男である。歩けない筈はない。私はタクシーを見切り、東へ向かって、東所沢の駅を後にした。
線路の南側を、最初は歩いていたのだが、私の家は線路の北側なので、間もなく見えてきた陸橋を渡り、北側へ出た。そして其の儘、線路沿いに歩く。――此の時私の頭に、所沢の地図など入っている筈もなく、唯なんとなく北に行けば好いような気がして居て、線路も、私が星空を頼りに確認した時には北へと伸びて居たので、何の疑問も持たなかった。然し、右手に線路を見ながら、ずっと北へ北へと進んで行くと、突然車庫が見え、そして其の先は、線路が失くなって居た。
「あ!」
暫く其の近辺をうろうろしてみたが、既に武蔵野線は影も形も無く、唯橙色の電車が十数台、私を冷やゝかに見下ろして居る。空を見た。私の向かって居るのは、真北だった。朝霞は、北東ぐらいではなかったか。地図も無いのに、所沢と朝霞の地理関係を、必死になって考えて居たが、考えて判るものでもなく、私は仕方無しに、己の勘を信じて、其の儘北へ進むことにした。然し直ぐに細い道に突き当って仕舞い、私は其処で、何となく右に曲がった。
何れ広い道に出た。広いからと、安心できる程、私は此の辺りの途を知らない。兎に角、ずっと北進することにした。自分の歩く道が正しいのか如何だかも判らず、余りの心細さに、歩速が大分遅くなって居る。オリンピック道路と云う名称も、私を安心させては呉れなかったし、亀ヶ谷と云う大きな十字路に出た時にも、正直云って、前後左右、何方に行くのが正しいのやら、さっぱり見当もつかない。仕方莫く私は、角に在るガソリンスタンドに行って、途を訊ねることにした。
私の勘は、半分合っていたが、半分間違っていた。――いや、後で地図で確認したところでは、大方合って居たと云っても好いだろう。然し其の場の私には、矢張り半分は大間違いを犯して仕舞ったような気がして居た。
「此処をずっと行って……」
スタンドのおじさんは云う。それは私が、進もうか否かと迷っていた方角で、私の来た方から見て右、つまり東の方角である。
「此の道は、浦和所沢バイパスで、ずっと行くと其の内、川越街道にぶつかるから、其処を右に……」
右へ行って、また右折する。詰まり、結局私は、北へ来すぎて居たのだ。――実際にはそんなことも莫いのだが、其の時の私は全く地理が判っていなかったので、四角形の三辺をぐるりと廻る事になると気付いた時点で、自分の土地勘に対して、自信を全く喪失して仕舞った。
おじさんは更に続けて、
「それでずっと行くと、新座の駅前に出るから、其処でタクシーでも拾うか、始発まで待つと好いよ」
北朝霞まで歩いたら、どのくらい掛かりますかね、と云う私の問いに、彼は笑い出した。
「歩くと、3時間ぐらい掛かっちゃうよ……なあ? 其の位掛かるよな?」
奥に居たメカニックの若者たちが、これも苦笑しながら、首肯いて居る。
「明日にもひゞくし、大人しく始発待ってた方が好いよ」
私には、3時間と云う時間が、別段長いとは思われなかった。時計を見ると、未だ1時である。と、云う事は、帰宅は4時と云う事になる。翌日の仕事は11時からであり、其の為には、9時か9時半頃に家を出れば、充分である。そして其の為には、8時頃に起きればよく、5時間も寝られゝば、充分であろう。今期(春季講習3期)は、授業は2~3コマしかないのだ。
私は軽く会釈をして、云われた通りに歩き始めた。
私は大事なことを訊くのを忘れて居た。川越街道までの距離である。直ぐに辿り着くのか、其れとも結構歩くのか……第一、見て直ぐに、其れと判る道なのか……稍不安になりながら、私は関越自動車道の上を渡って居た。この辺り、歩道が途中で途切れたりするので、車道に下りて、出来るだけ路肩を歩きながら、私は兎に角、東へと向かって居た。然し、先程も述べた様に、私は自分の方向感覚を信用できなくなって居たので、広いバイパスの反対側に再びガソリンスタンドを見付けたとき、無理に斜め横断をして、其処へ寄らずには居られなかった。
其処には埼玉県の広域地図が置いてあり、私は其れを貰って、そして其処に居た店員に、川越街道は此の道をずっと往けば好いのか、と云う様な質問をした。彼は其れで間違いないと云う。私は再び自信を得て、ガソリンスタンドを出ると、歩きながら、地図を確認した。甚だ広域過ぎて、主要幹線道路ぐらいしか描いてないのだが、私は自分の進んできた道が其れ程外れたものではなかった事を知って、完全に自信を回復し、歩速も通常のペースに戻って、鼻歌など歌いながら、ずんずん歩いて行く。何れ、大きな立体交差点に出逢った。地図では立体か否かは判らぬが、其の直前に見えて居た、左が川越であると云う標識から、私は確信して居た。
歩道が無理矢理右へ逸れ、一瞬なくなるのではないかとも思われたが、私は全く楽観的に、いざとなったら崖でも何でも登る心算で居た。そして、軈て歩行者用の隧道を見付け、私は崖を登ることなしに、東側から川越街道に出ることに成功した。
最初のスタンドのおじさんの言と、地図の主張に拠れば、此の儘真っ直ぐ行くと新座駅へ出る筈だった。然し私は、間もなく見えて来た「志木」と云う標識につられ、左へと逸れて行く細い市道に入って行った。そして其の直ぐ先に在る大和田中町と云う十字路では、左が志木だと書いてあったのだが、私は此処で暫し佇み、地図を取り出した。
私の行きたいのは、北朝霞である。駅前に自転車が置いてあるのだ。志木と云うのは東武東上線の駅で、何方かと云うと此方の方が自宅に近いのであるが、自転車の為に、私は何としてでも北朝霞へ行く必要があった。私は地図を見て、直進す可きだと悟り、己の判断に全てを託して、ずっと真っ直ぐに歩き出す。何れ、高い所を走る武蔵野線が見えて来た。線路の下まで行くと、如何やら線路沿いに、歩道が在る。私はすっかり安心しきって、其の途をずっと、線路沿いに東へと歩いて行く。然し、そう上手く整地された土地ではない為、大して進まぬ内に、忽ち突き当たって仕舞った。其処から左右に道が延びて居るのを、暫く佇んだ儘見較べてみたが、何方も似たような景色で、東へ行く為の交差点は在りそうにない。数秒の黙考の末、私は全く断定的に、左を選んだ。此の辺の道は既に地図には載っていない。然し私は、其れで正しいと云う自信があった。
左折して其の儘進んでは線路から遠離って仕舞うので、右への道を注意して探しながら歩いて行くと、苦も莫く十字路に辿り着き、私は躊躇わずに其れを右折する。道は強制的に、再び線路へと誘導して呉れる。然し、いざ線路と云う処で、道がふっつりと途絶えて仕舞った。金網の向うの高架の下には、何台もの車が停まって居る。如何にかして入り込む術があるか、或いは金網を登っても好いなどと考えながら、右側に開けた空き地のような駐車場のような処を、心ならずも金網伝いに西へと行くと、大きな、人ひとりが丁度潜り抜けられる程度の穴が金網に開いているのが判り、私は其処を潜って高架の真下に出ると、今度こそ東へ向かって進んだ。何台もの車が駐車して在り、西に出口が在るような気配はないので、此の儘進めば何処かへ出られると確信して居たが、果たして大きな工場に突き当たると同時に、左(北)へ抜ける道が現れた。建物の高いところに、大きく「TOPPAN」と書いて在る。工場を廻り込まない限り、東へは行けないようである。中学校と工場との間の道を只管北へと進みながら、私は右(東)へ回り込む道を探して居た。
野火止浄水場の東を通る細い道を北東へ進むと、直ぐに其れよりも稍広い道に突き当たり、私は其れを南東に進む。途中で右手に線路が見えたので、もう一度右折し、南西へと進んで行くと、線路の真下に辿り着いた処で道が失くなり、左手には畑が広がって居る。真っ暗で足許も良く見えないのだが、畑の南端を線路伝いに突っ切る。其の辺りには、何に使うのか、材木などが左右に積み上げられており、私は其れに引っ掛からない様に注意しながら、頼りない足場を一歩一歩ゆっくりと進んだ。何れ畑を抜けると再び線路の真下を通る道が復活した。材木が乱雑に投げ出された其の道を慎重に進む。大きなトラックが斜めに停まって、行く手を阻んで居たのだが、体の細さと身軽さが幸いし、土袋のような物を登りながら、狭い隙間をそっと通り抜け、何やら色々な物をばきばきと踏みつけながら、何とか広い道へ出ることが出来た。
私には、果たして何れ程の距離を歩いて来たのだか、さっぱり見当もつかなかった。後何れくらい歩けば北朝霞に辿り着くのか、私は確たるデータが欲しかった。時計を見ると、既に3時近い。三原通り(という名称は、後から調べて知ったのであり、其の時は道の名前など気にも留めていなかったし、其の道に名があるとさえ思いもよらなかった)を北進すると、何れ左手にセブンイレブンが見えた。私は真っ直ぐ其処に入り、埼玉県の地図を見た。
思わずにやと笑った。
北朝霞は、直ぐ其処である。私の現在居るのは、三原一丁目と云う交差点であり、セブンイレブンの正面に延びている道を真っ直ぐ行って、ガードを潜ると、すぐに広い道(宮戸橋通り)に出るから、其れを左折して、そして再びガード下に来た処で、今度は北朝霞まで通じる道が線路の両側に在るので、後は其処をずっと進むだけである。地図を睨んで、其の道順を確りと頭に叩き込み、棚に戻すと、其の儘出るのは申し訳ないので、缶のお茶を一本買った。そろそろ疲れが出始めて居たが、目的地が近付くと、得てしてそんなものである。次第に賑やかになって行く景色を楽しみながら、私は計画通りの道を進み、東上線朝霞台駅の南口から、真っ暗な駅を横切って北口に出て、武蔵野線の下を通って北朝霞駅北口に出る。
松戸で胃の中を略空っぽにして仕舞ったので、無性に腹が空いている。家に帰っても食うものなど在るはずが莫いので、駅前のコンビニでカップラーメンを買い、其れから自転車置き場へ向かった。
何分くらい、其処に居たのだろう。昨日(最早日付は一昨日である)置いたと思う場所に自転車が莫いのである。広い駐輪場を隈なく探したが、見付からない。あんなボロボロの自転車を盗む奴が在るだろうか。第一、前後輪に二重施錠をしておいた筈である。前輪のワイヤーはそうそう簡単に切れるものではないし、後輪の錠前も、此れは中々固くて、針金や金属片ではまず外せない鍵である。
真っ暗で良く見えないのだが、其れでも一所懸命に探して居た。其処で何十分も時間を浪費した挙句、
「あぁっ
最初に探して居たところの直ぐ近くに、発見した。私は列の中央付近に置いた筈なのだが、其れは可成通路側に寄せられて、ひっそりと佇んでいた。二日も置いておけば、位置も変えられていて仕方あるまい。然し、黒い自転車と云うものは矢鱈と多くて、探し出すのに隨分手間が掛かって仕舞った。
兎に角朝が早いので、私は自転車に跨ると、一路家路を急いだ。
――家に帰り着いたのは、3時半頃である。
(おわり)
97/03/31