魚達の追憶

――追悼の念を込めて――

里蔵 光

何時(いつ)の頃からか、其処(そこ)に居た。気が付いた時には、明るい螢光燈の(もと)(せま)い部屋の内で窮屈そうにして居た。彼等の主人は、(ある)いは(その)家族は、毎日水面(みなも)に食事を落として行った。七日(なぬか)に一度、「日曜日」と()う日には、部屋の掃除をして()れた。彼等は段々、主人に愛されて居る気がして來た。彼等の体は、大きい者で五六寸にもなった。全く何事も()く、単調なる時が流れて居た。

或日、小さな同族が現れた。既に彼等には狹過ぎる程の(この)部屋に、更に小さな、鬱陶(うっとう)しいのが、うじゃうじゃと侵入して來たので、苛立(いらだ)ちは一通りで莫く、遂には、一番大きなのが中心となって、皆々()い尽して仕舞(しま)った。再び、五疋丈(ひきだけ)の部屋に戻った。主人達が騷いで居たが、知らぬ振りを通した。

引越しをしたらしい。彼等には関係の莫い事だった。「玄関」と云う場所の、「下駄箱」と云う台の上に彼等の部屋が()えられると云う事に、変わりは莫かった。唯、「下駄箱」の形は、前と違った様な気もした。如何(どう)でも()い事だった。矢張(やは)り、主人達には愛されて居る様だった。矢張り、如何でも好い事だった。

或時、中でも小柄な、三寸程しか莫いのが病に(かゝ)ったら、主人は非常に心配して呉れた。(それ)丈でも、多少は嬉しかった。(じき)(なお)った。(しか)し、主人が他処(よそ)で殺生をした事を、直勘から()った。悲しくもあり、恐ろしくもなった。

主人の手に()けたのは、「(ひよこ)」と云う、聴いた事も莫い、見た事も莫い、空に生くる種の者らしかった。

主人が昼休みに、友人と二人し、「小学校」なる(ところ)より抜け出した折、校門の処に「雛」の()った(はこ)が、山と積まれて居た。(そば)に持ち主の姿の莫いのを()い事に、其処から一羽(さら)って、二町ばかり先の公園まで逃げて、其処で「雛」をからかって遊び始めた。(やが)何故(なぜ)か、「水浴」と称して、水へと漬け込んだ。鼻から水が入って、間も莫く彼は、天に召された。二人は、()いたらしい。世では其を、僞善と云うらしい。

其から一年程()った頃、「ハムスタア」と云う、ハイカラな名の生き物が()って來た。彼等は其を、ちらとしか見た事は莫いが、何でも四足で()(まわ)り、鼻の先の長い(ひげ)をひくひくさせて居た事丈は、記憶して居る。主人達は、可愛い可愛いと云って、大層重宝して居た様だ。彼等には、全く如何でも好い事だった。

小さな生物は、「バナア」と呼ばれて居た。彼等の事は、「金魚」と呼ぶのに、其生物を、「ハムスタア」と云う正式名称で呼ばぬのは、其生物の(ため)に哀れで(たま)らなかった。彼は時々、(かご)から抜け出しては、家中を騷然とさせて居たが、其でも隨分(ずいぶん)、愛されて居る様だった。

軈て寒い頃になって、彼は天に召された。主人が学校へ行って居る間に、逝った。主人が帰って來ると、姉妹共々哭いて居た。理由を尋ねても(こた)えは莫く、母に()いても、応えは莫かった。(しか)るに、其涙の因果を識った時は、(しば)し呆然として居た。彼の逝ったは、(こゞ)えた爲であり、取りも直さず、主人の(あさ)過ぎる心得からであった。

翌春、「鸚哥(いんこ)」と云う、空に生くる種の者が迷い込んで來た。主人達は慌てゝ篭を仕入れて、飼い始めた。ベランダにて飼って居たが、数日食事を与えるのを怠って、半年もせぬ内に、矢張り天に召された。彼等への給餌は、忘れる事なく続けられて居た。桑原(くわばら)々々

 

如何やら、(また)引越すらしい。彼等には、数日()前から厭な予感が付き(まと)って、離れなかった。先の事例から、彼等の命も(また)、危うい事が察せられ、其覚悟を余儀なくされて居た。世界が、急に暗くなった気がした。

(いよいよ)引越した。今度も復「下駄箱」かと思いの外、主人の母君が、水浸しになるから厭だと云い出し、何処(いづこ)へ遣られるのかと思いきや、「濡縁(ぬれえん)」なる処へと置かれた。

主人達の目に触れる機会も、めっきり少なくなった。強い陽光が真面(まとも)に射した。三日と待たず、壁面は緑色の者で、びっちりと(おゝ)われた。如何やら、給餌すら忘れ出した。壁面の者を口にして、何とか(しの)いで居た。其でも「緑」は増え続ける。「日曜日」が待ち遠しかった。――主人は、來なかった。

彼等は段々に、息苦しくなって行った。次の「日曜日」に、(ようや)く主人が來て、掃除をして呉れた御蔭で、助かった。

それきり。

夏迄に、何処からか(はえ)が飛んで來て、卵を産み付けて行った。壁面は厚い緑で覆われても、上からは依然として、強い光が射した。水は最早(もはや)腐り切って、異臭は放つし、第一ぬるぬるして、気色が悪かった。

先ず、三寸のが天に召されて、浮いた。主人は一向、気付かない。

苦しくて堪らなくなった。主人に(むか)かいて叫んでも、(むな)しくも声は届かぬ。体中が腐って行く様な、心持ちがした。

何時しか水面(みなも)には、三疋の仲間が天に召されて、浮く様になった。そうして間も莫く、復一疋天に召されて、泳げるのは一疋(のみ)となり、其最後の貴き命すら、遂には果て、天へと、召された――恨みと共に。

 

其から、主人は生物を飼わなくなった。

 

天上で、仲間と()った。三つの他の命とも遇った。八つ、頭を揃えて談合した。主人が憎いと、云う者が居た。主人は決して、悪意を以てしたのでは莫いと、弁護する者が居た。八つの命を奪うのが、唯の過失とは考えられぬ、必ず、悪意を以てしたに相違莫いと、強く反撥する者が居た。そうだそうだと、首肯(しゅこう)する者が居た。(あやま)ちと思わば、繰り返さぬものだと、意気巻く者が居た。――そうして、復讐と云う目標を、高々と(かゝ)げるに至った。

彼等は、主人が(もと)へと天下(あまくだ)り、其運命を、ずたずたにし出した。何時の間にか、鼠や鸚哥等の仲間が増え、十已上にもなって居た。主人の、小さき者に対する、残虐心の表れである。皆で、寄ってたかって主人に取り()きて、最早主人の幸福は、跡形も莫く消え失せた。

(いづ)れ、死ぬるであろう――

 

 ザンゲデ、ツミハ、キエヌモノ。

 ツミノカズダケ、クルシムガイヽ!

一九九二年(平成四年)、十一月、二十四日、火曜日、大安。