転送
里蔵光
皆勝手なことばかり云う。私だってそんな風に生きてみたい。
人当たりが好いとか、空気が読めるとか、懐に入るのが上手いとか。人たらしだとか。そんなものは誉め言葉でも何でもない。そう云われる度に心がチクチクする。そんなことさえ、あいつらには想像も出来なければ理解も出来ないんだろう。
何で私はこんな風になって仕舞ったんだろう。こんなしんどい生き方、したくなんかないのに。
「ねぇ、蓮たら。聞いてるの?」
ずっと空ばかり見ていた。なんだっけ。――あゝそうか。なんか知らないけど、私の席の周りで小娘どもが、ピーチクパーチクしているのだ。気になる男子がどうとか? 全く興味もない。何でこいつらは寄って来るんだろう。然し邪険にも出来ないから、適当に相手の欲しがっている言葉を与えてあげる。
「仁美は好いよねー、可愛いもん。男子からも一番人気でしょ?」
「えー、やだ、うそでしょー。あたしなんかぁ」
ほんと、お前なんか、だよ。あゝ……黒いなぁ。お腹の中真っ黒だ。いや、こんなんじゃだめだ。ちょっとオーバーアクション気味に伸びをして、「んーっ!」と呻いてみる。空気変われ。
「蓮てば、眠たいんでしょ」
「てへへ、バレたか」
「もぉ、仁美ばかりじゃなくて、あたしの話も聞いてよー」
あれ、空気変わらない。ダメかぁ。
そこでチャイムが鳴った。周りに集っていたガキ共もそれを契機に自分の席へと帰って行った。チャイムは強いなぁ。
「また放課後ね!」
いや、勘弁してくれよ。
授業中は殆ど呆けていた。先生に指されない限りは、非常に平穏に過ごせるから、授業の時間は好きだ。成績は並だけど。教科書に目を落として、一応授業を受ける体勢は取っている。頭の中は半分位、御留守だけど。
前の席に座っている知佳を見る。なんかここ最近、知佳は授業に身が入っていない様な気がする。テストの点も落ち気味みたいだし、少し心配だな。時々辛そうに眉間に皺を寄せていたりするし。でも私と話している時は普通に愉しそうなんだよな。ああ、まあ、大抵の子は、私と楽し気に話すんだけど。うんでも、知佳はちょっと違うんだ。私はこの子は好き。下らないピーチクとかしないし。
そんなことを取り留めもなく思い巡らせている内に、六時間目の授業が終わった。皆一斉に帰る準備を始める。ランドセルに教科書とノートを入れて、連絡帳を机の上に開いて、帰りの会の開始を待つ。不図前を見ると、知佳が辛そうに顔を伏せていて、余り準備が進んでいない。
「知佳、如何したの? しんどい?」
「あ、ううん……大丈夫、ちょっと体育で疲れただけ」
そう云えば五時間目の体育から少し怠そうにしていたか。私は知佳の帰る準備を手伝いながら、そっと額に手を当ててみた。
「熱は無いか。でも無理しないでね。今日一緒に帰ろうか」
「うん」
返答も少し元気がないので、
連絡帳に宿題と明日の持ち物などを書き込んで、帰りの会が終わると、「さようなら」の挨拶と共に男子たちが物凄い勢いで教室から飛び出して行く。いつものことだ。
私は先刻の「聞いてよ」娘に掴まらない様に、知佳の手を取って稍足早に教室を辞した。余り早く歩いたら知佳がしんどいだろうとは思うけど、それでもあのピーチクに掴まったら
無事に校門から脱出すると、知佳も少し調子を取り戻した様に見える。
「蓮、ありがとうね」
「えー、何が?」
「いや――うん、何でもないけど」
「なにそれー」
知佳の首をぎゅっと抱き寄せてみる。知佳はくふふと笑っている。なんかこう云うちょっとした時間が、私は楽しい。
「蓮は、何か違うんだよね、他の人よりほっとするっていうか……」
如何云う意味だろう。人たらし、ってことかな。なんか複雑な気もするけど、でも知佳にだったらそう思われていても好い。私は知佳たらしだから。
辻にお地蔵さんが立っている。近所の人が手入れをしている様で、いつも綺麗な赤い涎掛けをしていて、お饅頭なんかの御供え物も欠かさない。このお地蔵さんの辻で、知佳とはお別れだ。
「じゃあね、気を付けて帰るんだよ」
「うん、ありがとう。また明日!」
知佳はすっかり元気になって帰って行った。そして私の足取りは、急に重くなる。
家には誰も居ない。母親はもう何年も前に死んで仕舞った。兄弟も居ない。唯一人の家族である父親は、仕事に行っている。帰ったところで誰も出迎えてはくれない。一寸前まで学童保育なんてものも利用していたけれど、厭になって行かなくなって仕舞った。なんか気疲ればかりするんだよね。下級生が慕ってくれるのはまだマシなんだけど、同級生や上級生迄なんか知らないけど構って来るのが、本統に疲れる。だから止めた。犬でも飼ってればまだマシなのかも知れないが、こんな状況で誰が世話出来るというのか。犬さえ飼う資格は無いのだ。
団地と云う存在はそれ自体で時代錯誤の感がある。建物の老朽化も進んでいて、あちこち罅だらけで黒ずんでいる。コンクリートの質感も、寂しさを際立たせている気がする。お父さんの甲斐性ではこれが精一杯なのだろう。住民も年寄りばかりで、空き部屋も目立つ。建て替えるだか取り壊すだかの計画もあると噂に聞くが、最初にそれを聞いてからもう何年も経つ。あの頃は未だお母さんが生きていたか。だとしたら一年生とかそのぐらいだ。来年にはあたしも六年で、再来年は中学生だ。予算が無いんだとか云う話も聞く。何処迄本統だか判らない。
その団地の二階に階段で上がり、家の前に立ったところで、そう云えば今日は鍵を持たずに出たのだと云うことを思い出す。休み時間に何気なくポケットに手を入れた時、そこにある筈の鍵が無いことに気付いたのだ。鍵は何処に置いたっけ。多分食卓の――その時脳裏に、自棄に鮮明に、食卓に乗った儘の鍵のイメージが浮かんだ。矢っ張り置いて来たのか。拙いな。私よりお父さんの方が家を出るのは遅いのだ。だから当然鍵は掛かっているだろう。試しにドアノブを捻ってみるが、矢張り開かない。これは夜迄何処かで時間を潰さなければならないパターンか。「聞いてよ」娘の話でも聞きに行って遣ろうか知ら。あの食卓の鍵が、ポケットにあればなぁ――
その時ポケットに何か違和感を感じた。なんとなくそこに手を入れてみると、果たして鍵が入っていた。
「あれ?」
思わず声が出た。休み時間には確かに無かった筈なのだが。それともそれが気の所為だったのか。取り出してみると確かに鍵だ。先刻鮮明に思い描いた、食卓に置き去りにしたと思い込んでいた鍵だ。鍵穴に挿すと、難なく回る。当たり前だ。家の鍵なんだから。重たい鉄のドアも普通に開く。当たり前だ、今解錠したのだから。
「ただいまぁ」
誰も居ないのに、帰宅の挨拶が日課になっている。何処かでお母さんが聞いてくれているかも知れない、なんてことも思ったりする。なんとなく食卓に目が行く。そこに鍵は無い。今手に持っているのだからある筈がない。スペアキーだってそんな所に置いている筈は無いし。要はずっと自分が勘違いしていただけなんだろう。
狐に抓まれた様な気分と云うのは、こう云うのを云うんだろうな、なんて考えながらランドセルを下ろすと、洗面所へ行き、石鹸で念入りに手を洗い、嗽をする。看護師だったお母さんは、手洗いの方法を私に確り教えてくれた。今でもそれを忠実に守っている。一年生の終わり頃に始まった、世界規模の感染症騒ぎは、大分下火になったとは云え未だ未だ収まった訳ではない。既に終わったと思っている人、云っている人も居る様だけれど、私にとってこの件が終わることは当分なさそうだ。お母さんは大分初期の頃に、こいつに殺られたんだ。連勤中の病院から連絡があった切り、二度とお母さんに会うことは無かった。お父さんと自分もその後検査を受けさせられたが、陰性だった。そりゃあ、それ以前からずっと病院に詰めっ放しで、私もお父さんも長いことお母さんと接触していなかったんだから、伝染っている訳がないのだ。お母さんは一人で戦って、一人で死んでいったんだ。葬式だって真面に出せなかった。皆お母さんを穢いモノの様に扱った。火葬場だって盥回しにされた。焼いたら広がるとか云われて。悲しくて悔しくて、お父さんと二人で毎日泣いていた。
なんだか嫌な記憶を掘り起こしちゃったな。もうずっと昔のことなのに。ランドセルを手に提げて、ふらっと自分の部屋に入ると、その儘ベッドに倒れ込んだ。なんだか変な疲れ方をしている。ピーチク娘たちの所為だ。勘違いしていたのもあいつらの所為かな。そう云うことにしておこうか。
いつの間にか寝ていた様で、玄関の開く音で目を覚ました。
「ただいま」
お父さんの声がする。目は覚めたけど起き上がる気力が中々出ない。あゝ、帰って来てから何もしてないや。
「れんー」
手洗い嗽を済ませたお父さんが、名を呼びながら部屋に入って来た。
「おーい、起きろ。宿題しろよ」
「うん……あ、ごめん、何も作ってないや」
「いいよ、しておくから」
料理は何となく分担制で、炊飯と味噌汁は大抵私が受け持っていた。ご飯は昨日の分がまだ炊飯器に残っているから好いとして、味噌汁は全く何もしていなかった。こんなことは滅多に無いのだけど、今日は本統に疲労感が激しい。何でだろう。帰って来てから一気に疲れが出た気がする。あゝ矢っ張り「聞いてよ」娘――弘子の所為なのかな。今日の取り巻き達は誰だったっけ。仁美と、弘子と、奈緒と、千尋かな。うーん、明日も取り巻かれるのかな。結構冷たくあしらっている心算なのに、なんで寄って来るんだろう。
そんな取り留めのない思考からぬるりと抜け出して、緩慢な所作で起き上がると、取り敢えず風呂場に向かった。夕飯の支度は出来なかったけど、せめてお風呂は洗っておこう。体を動かしていれば目も覚めるだろうし。宿題はその後で。
「ごはんだよ」
風呂洗いの最中に、お父さんに声を掛けられた。
「それ終わったらおいで」
「うん」
宿題は食後だな、なんて考えながら、シャワーで洗剤を流し切って、風呂の栓をし、蓋をして風呂焚きのスイッチを入れる。足拭きマットとバスタオルで濡れた足を拭いて、食卓へ急いだ。折角作って貰ったのに、冷まして仕舞ったら悪いから。
「おまたせ」
「ご苦労様、じゃあ、いただきます」
「いただきまーす」
今日の食卓には、鰆の西京焼きが並んでいた。数年前まで玉子焼きも真面に焼けなかったお父さんが、焼き魚なんか作れる様になったのだから、大した成長だと思う。
「今日、部長がね――」
お父さんは何故だか、いつも会社であった事を私に話して聞かせる。愚痴も云う。若しかしたらお母さんが生きていた頃は、いつもお母さんにそうして話していたのかも知れない。仕方がないから聞いてあげるんだけど、略何云ってるか理解は出来ない。それでもうんうんと聞いてあげていると、なんだかすっきりした顔付きになるので、それが嬉しくていつも聞いて仕舞う。適当に入れる合いの手も、大分巧くなった。内容が解らなくても相槌は打てるものなんだ。そう云う技術は大体、お父さん相手に身に着けた。
「――明らかにリスク大きいと思ったから、指摘したんだけど、聞く耳持たなくてさ」
「他人の意見は聞かなくちゃだよね。学校でも云われるよ」
「だよな。会社の人たちは小学生以下だな」
反対に私のことは、何も聞いて来ない。私も特段学校であったことなど話さないから、勢いお父さんが話し役、私が聞き役、という形になって仕舞う。別に好いんだけど、なんか複雑な気持ちになる。偶に話したいことがある様な時でも、如何にも気後れして仕舞って、結局何も云えない。そんな時は、学校で知佳を捕まえて、沢山お喋りする。話したいこととは関係なくお喋りする。大体それで、気持ちは晴れるのだ。我ながら歪んでいる様な気もするけど、それで何とか遣っていけているからまあ好いか、と思っている。
「――半ば強引に対策は入れさせたんだけど、部長は最後まで不機嫌で。予算の無駄だ、としか云わなくて」
「お金は大事だけどね」
「まあね、でも必要なところには掛けるべきなんだよ、その為の予算なんだから」
思えば、私が本統に話したい相手って、知佳だけな気がする。他の子達ともまあまあ話すし、相手が満足する顔が好きなので欲しがっている言葉を躊躇なく与えるし、多少気心が知れた相手なら軽く弄って周囲の笑いを誘ったりもする。だからなのか知らないけど、皆私と話そうと寄って来る。鬱陶しいんだけど、止められない。寄って来るのは鬱陶しいけど、離れられるのは寂しい。勝手なんだよな。本統に嫌な時は今日みたいに自分から逃げるけど、だけど相手が自分から逃げたらそれは物凄く嫌だ。矢っ張り勝手なんだな。
「――それで結局、お父さんが心配していた通りのことが起こってさ。対策してたから無事だったんだけど、でも部長は自分の手柄みたいにしちゃって」
「非道いこともあるもんだね。一回お祓いして貰ったら?」
「はは、そうだな。そろそろ厄年だしな」
急に知佳が恋しくなった。でももう夜も遅いし、電話をするのも憚られるので、明日学校で逢う迄我慢することにする。こんなのもよくあることなので、慣れてはいる。知佳って何となく、お母さんみたいな雰囲気の娘なんだ。否別に、私のお母さんに似ている訳ではないし、代わりになるとかそう云う訳でもない。唯なんと云うのかな、母性が強いとでも云うのか、優しくて気が利いて、一寸口下手で。ほんわかした雰囲気があって、でもその中に一本ピリッとした芯があって。一緒に居ると安心するし、護ってあげたくもなる。私は勝手に親友だと思っている。知佳がどう思っているのかは知らないけれど。
「ごちそうさま、先にお風呂入るね」
「宿題しろよ」
「上がってからする」
自分の食器を流しに下げて、水を掛けておく。水を掛けておけば汚れがふやけて後で洗うのが楽になる。洗うのは大体お父さんだけど。
お風呂は大好きだ。綺麗になることが
あ、宿題してないんだった。
そこまで考えたところで、十分体も温まったし、お風呂を上がってパジャマに着替える。歯を磨いて、明日の教科を揃えてランドセルに入れて、それで漸く宿題に着手した。授業中呆っとしていたからか、よく解らないところが多い。お父さんに訊こう。
「お父さん、助けてぇ」
「はいよ、計算か、漢字か」
「ええとね、両方」
授業の手抜きはお父さんのフォローで何とかなっている。いつまでこんな感じでやっていけるかな。中学でもイけるかな。高校は如何だろうな。矢っ張りちゃんと授業聞かなくちゃなぁ、とは思うんだけど、中々身が入らない。困ったもんだ。丸で他人事。
そんなこんなで、お父さんの大活躍で何とか宿題を終わらせて、布団に入る。
「おねしょすんなよぉ」
「しねぇわ!」
こんな遣り取りも日課。云われてからトイレに行って、改めて布団に入る。この日はなんだか、知佳と遊ぶ夢を見た。
寝る前に宿題なんかしていた所為か、余り確り寝れた気がしない。それでいつもより布団の中でうだ付いていたら、時間が足りなくなって可成バタバタしながら家を出て来た。そして学校に着いて、ランドセルを開けて、宿題を忘れて来たことに気が付いたのだ。
「うっそ……どうしよう」取りに帰る時間なんか無い。机の上だ。開きっ放しで。漢字も計算も。そうして嫌にくっきりと、その様が脳裏に浮かんだ。机の上に広げられたノートが二冊。その脇に計算ドリルと漢字ドリル。そっと目を閉じて、開いた。
目の前にそれがあった。
「は?」
何。なんだこれは。目の前、自分の机の上に、二冊のドリルと二冊のノート。ノートは開いたまんま。
混乱した。
否否否否否。ありえないありえない。なにこれは。どういうこと。確かに忘れて来たんだ。机の上に開きっ放しで、ランドセルに入れ忘れて……はて。先刻鮮明に浮かんだイメージは、最早二度と思い浮かべられない。解らない判らない。何が起きているの。私、頭が奇怪しくなったのかな。
恐る恐るノートに手を触れてみる。何も異常はない。昨日宿題を遣ったノートだ。自分の名前が書いてある。ちゃんと宿題は終わっている。じゃあ問題ないか。ないのか。問題は無いのか。
ヘタヘタと椅子に腰を落とした。結果はオーライだ。だけど如何云うこと。私一体如何しちゃったんだろう。――そうか、忘れて来たってのが
チャイムが鳴った。私の混乱もそこで一旦リセットされた。本統にチャイムは強い。それ切りこの事は忘れて仕舞った。
「昨日帰るの早いよ!」
一時間目が終わって早々に、捕まった。まあ、席に座った儘呆っとしていたし、当然か。なんか朝から変に疲れてるんだ。朝からと云うか、学校に来てからかな。なんか変な疲れが。
「ごめんごめん、昨日はさ、知佳が心配だったから」
「えー、知佳どうしたの?」
あっ、知佳巻き込んじゃった。ごめんね。前の席でノートに落書きしていた知佳が、こちらを振り向いてにこっと笑った。
「ちょっと体調悪くてさ。蓮が心配して一緒に帰ってくれたんだ。蓮、有難うね」
「そうなんだぁ。もう大丈夫なの?」
「うん、大丈夫だよ、有難う」
応える瞬間の知佳の表情が、ちょっと不可解だった。なんだか一瞬不愉快な感情が過った様に見えた。でもお礼云ってるんだし、今は笑ってるし。気の所為かな。
凝と知佳を見ていたら、なんだかバツが悪そうにてへへと笑って、また前を向いて仕舞った。会話を続ける気は無いらしい。知佳、それは賢明な判断だよ。
「でね、昨日の続き――」
私も続ける気は無いんだけどなぁ。そんなこちらの思惑なんかお構いなしに、弘子はペラペラと軽薄な会話を始める。私なんかに恋愛ネタ振ったって仕方ないのに。校庭の桜の木に話した方がよっぽど建設的だと思う。私じゃあ桜の木程の愛想も無いだろうに。――桜の木の愛想ってなんだ。そこ迄考えて、クスッと笑って仕舞った。
「あ、ちょっと蓮、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ。結局弘子はどうしたいのさ。遠くから見ているだけで満足なの?」
「いいのいいの、今はそれで好いの。てゆうか告白とか無理だし。この距離感が心地好いんだって」
「なんか悲恋っぽいよね」
「ヒレンて何?」
全然悲恋ぽく無かった。ダメだこりゃ。頭悪い子ちゃんに悲恋なんか無理です。適当に誤魔化してあしらっている内に、チャイムが鳴った。最強のチャイム。
次の授業が始まって早々に、知佳の消しゴムがコロコロと床に落ちた。でも誰もその事に気付いていない。知佳自身、消しゴムを落としたことに気付いていない。拾ってあげたいけど、今席を立つと目立つし、如何しようかと思って凝と消しゴムを見詰めていたら、その消しゴムが自棄に鮮明に見えてきた。この感じは前にもあった。知っている。脳裏にくっきりと再生される感じ。否でも、今目の前に見ているのに、脳裏に再生されるとか意味が解らない。不思議な感覚に浸っていると、目の前の消しゴムが少し身震いした。なんだろうと思って更に見詰めていると、消しゴムが突然すっと消えて、次の瞬間手の中に重さを感じた。
うそでしょ。
恐る恐る手を開くと、やっぱりそこには消しゴムがあった。知佳が落とした消しゴムが。
心持ち机に身を伏せて、目だけで周囲の様子を窺う。この変事に気付いている者は居ない様だった。それを確認すると、今度は手の中の消しゴムを凝と見詰めてみた。ほら来た、またこの感覚。消しゴムが鮮明に脳裏に再生される。重さとか成分とか、なんかそう云うのも明確に判る。変な感じ。扠これを如何しようか。知佳を見た。知佳の死角、右手の陰になっている辺りで好いか。そう思った瞬間、消しゴムはそこに現れた。当然自分の手の中には何も無い。
最早確実だった。私、なんか超能力者になったみたい。そうしてどっと疲れが出た。――この疲れは今朝も昨日も感じた。矢っ張り鍵は家にあって、それを自分の超能力で取り寄せたんだ。そしてこの能力を使った所為で、疲れが出たんだ。弘子の所為じゃなかった、ごめんよ。今朝も宿題を持って来たから、一時間目ずっと疲れてたんだ。
能力自体は便利なんだけど、こんなに疲れるんだったら余り使いたくないな。そんなことを思いながら、二時間目も殆ど呆けて過ごした。
三、四時間目は運動会の練習だった。今度の土曜日に運動会がある。練習と云うのは開会式の行進とか、準備運動のラジオ体操とか、各競技の入退場とか、閉会式の隊列とか、詰まりは集団行動を綺麗に澱みなく進行する為の訓練だ。序でに鳥渡だけ競技の真似事もするが、その辺りは迚も好い加減に流す。そんなところで本腰入れて競技したら、本番と区別が付かなくなって仕舞う。
知佳が少し怠そうだった。こんなに運動苦手な子だったっけ。知佳は一年の時から知っているけど、前はもう少し活発だった気がする。運動センスは無かったけど、ここ迄ひ弱な感じではなかったと思う。今日は行進と体操程度の内容なので、昨日の体育の時程ではなさそうだけど、それでも二時間ぶっ通しなので決して楽でもなさそうだ。
「知佳、無理しないでね」
「うん、今の所、大丈夫。ありがとう」
にっこりと笑う顔も、なんだか痛々しい。気になって仕方がないので、並び順とか無視して極力知佳の隣に居る様にした。元々隣だった男子も、自分では手に余ると思ったのか、気を利かせて私と場所を入れ替わってくれた。知らぬは先生ばかりなり。何なら先生は、最初から知佳の隣は私だったとでも思っている様だ。大雑把と云うか好い加減と云うか、そう云う先生なので助かっている。
知佳のこの不調は、昼休みには幾分マシになり、午後にはすっかり調子を取り戻していた。矢っ張り体育が苦手になっちゃったのかな。なんだか気の毒な気がするけど、元気になってくれたので取り敢えずはほっとした。
この日の帰り道、その人に遭った。この日は知佳も元気だったし、放課後ピーチク共に掴まった所為もあって、一人でとぼとぼ帰っていたら、お地蔵さんの横に中年の男が立っていて、声を掛けられた。物凄く警戒しながら、ランドセルから下がっている防犯ブザーに手を掛ける。
「誰?」
男は蹲み込んで、目線の高さを合わせてきた。
「申し訳ありません。あなた、柏崎蓮さんですよね」
「だから誰」
「私は神田と云います」
そうして男は、名刺を差し出した。なんだか信用出来なくて手を出さないでいると、神田は名刺を引っ込めて仕舞った。
「あなたの転送能力を必要としています。お話、聞いていただけないでしょうか」
「えっ、なんで――」
一歩、二歩、後退る。自分でも昨日初めて使って、今日やっと気が付いたこの能力を、何で見知らぬおっさんがいきなり知っているの。紐を引くのも忘れて、走って逃げた。走って走って、家に着いて、手洗い嗽して、ベッドに腰を下ろして、一寸落ち着いたら、急に惜しくなった。あのおっさん、何をどこ迄知っているんだろう。
翌日も同じ頃、同じ場所に神田は居た。今度は私も、覚悟を決めて、自分から話し掛けてみた。
「神田さん、ですよね、あの――」
「ありがとうございます。お話聞いてもらえますか」
慎重に首肯くと、体がぐらりと揺れた。何事かと思って体勢を立て直そうとするが、如何も足許が覚束ない。確認しようと思って下を見たら、地面が遥か遠くにあった。
「えっ? なに? どうなってんの!」
「すみません、邪魔の入らない処でと思いまして、一寸上空に」
「何それ!」
叫んでも最早地上に声は届かないぐらい、上空に来ていた。急に恐ろしくなった。私を如何する心算だろう。
「そんなに警戒しないでください。お話が済んだら責任持ってお帰しします」
そう云うと神田は空中で胡坐を掻いた。仕方ないから私も体育座りをして話を待った。そうか、この人も超能力があるんだと、その時漸く理解した。
神田は凝と私の眉間の辺りを凝視して、「成程、蓮さんは転送能力初心者と云ったところでしょうか」
「昨日初めて使いました。自覚したのは今日」
細かい経緯を話して遣った。能力を使ったのは都合四回だ。鍵以前に知らずに使っていたとしたら判らないけど、でも多分そんなことも無いだろうと思う。屹度四回だけだ。
「なるほど」
「これ使うと凄く疲れるんで、余り使いたくないです」
「それはコツが掴めていないから、余計なところに力が入っちゃってるんでしょうね。一寸練習しましょうか」
「練習?」
神田は小さなビー玉を取り出した。
「こういう単純な形状の方が、余計な気を遣わなくて済むので練習に向いてるんです。先ずはこれを、あなたの手の中へ持って行ってください」
云われる儘に、ビー玉を見詰めた。脳裏にイメージが再生される。そして自分の手の中にビー玉が移った。
「疲れはどうですか?」
「今迄で一番ましかも……」
「では私の手の中に戻してみてください」
その後、ビー玉の遣り取りが何回か行われた。段々コツを掴んできたのか、余り力まなくてもホイホイと転送出来る様になってきた。疲労も殆ど感じない。
「好い感じですね。もう然程疲れることも無いと思いますよ」
神田がにっこりと微笑むので、連られて笑顔になった。
「扠、このあなたの能力なんですが、必要としている人達がいます」
「悪いことならしませんよ」
「もちろん、良いことです。大きなところでは国を守ること、小さなところでは個人の依頼もありますが、決して悪い依頼は受けませんのでご安心ください」
「依頼?」
国を守るって、大袈裟な。戦争でもするのか知ら。
「戦争などにも使わないので、ご安心ください」
「やだ、心が読めるんですか?」
「いや」神田は一寸笑って「よく云われるので、先に云ってみました」
よく云われるって、こんな超能力者が他にもいっぱい居るのだろうか。
「心を読める人も必要なんですけどね。鳥渡まだ接触出来ていないんです。近くに居ることは判っているんですが――」
「ふうん」
そう云うのは如何遣って調べているのだろう。私のことも何処から嗅ぎ付けたんだろう。そう云うことが判る超能力でもあるのだろうか。なんとなく聞きたい様な、聞くのが怖い様な……
「では今日は、このくらいで。また近いうちにお伺いしますね」
「近いうちって」
「まあそうですね……次の土曜日あたりですかね」
「次の土曜って、運動会なんですけど」
「承知していますよ」
そう云って、神田と私はそっと地上に降りて来た。お地蔵さんの辻ではなく、家の前だった。何で家の場所知ってるんだろう……と、警戒しないでもなかったが、最初に遭った時程の警戒心は無かった。
家に帰ってからも、自主的に練習をした。ビー玉が直ぐには見付からなかったので、代わりに消しゴムを使った。成程、形が複雑だと一寸気を遣う。それでも、昨日迄の様な疲れ方はしなくなっていた。
不図した思い付きで、辻に立って居るお地蔵さんを思い浮かべてみた。脳裏に再生される迄に一寸時間が掛かったけど、それでも部屋の真ん中に地蔵を立てることに成功した。床の絨毯が土で汚れて仕舞った。
「あーあ、そりゃそうだよね。参ったな」
地蔵を再び元の位置へ転送すると、掃除機と雑巾で床の掃除を始めた。
流石に地蔵の転送は疲れが出た。それが重たいからなのか、それとも距離が遠かったからなのかは判らない。形が複雑だったからかも知れない。それでも最初の鍵の時よりは疲れていない。おやつに仕舞って置いたお煎餅を何枚か食べて、お茶を飲んだら、直ぐに元気になった。
「なんだかあたしって、単純だな」
元気になったところで、夕飯の準備を始めた。炊飯器を仕掛けて、味噌汁の準備をしながら、胡瓜の胡麻和えを一品だけ作ってみた。味噌汁が出来上がる頃、お父さんが帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりー!」
玄関まで迎えに行って、鞄を受け取る。アルコールを吹き付けて消毒すると、お父さんの部屋に置きに行く。その間にお父さんは、手洗いと嗽を済ませた。
「お、今日は一品多いじゃないか」
台所に入って来たお父さんが、和え物に気付いてくれた。
「和えただけの手抜きだけどね」
「なんの、なんの。料理は手間かけりゃ好いってもんじゃないからな。簡単でも美味しければ正義だ」
そして一口摘んで、「うん、美味い」と云ってくれた。
「摘み食いすんなぁ」
お行儀が悪いことには変わりがないので、一応ツッコんでおく。
お父さんが、湯煎するだけのハンバーグを買って来ていた。それにカットキャベツとプチトマトを添えれば、立派なおかずになる。更に冷奴も添えて、今日の夕飯が出揃った。
「いただきます!」
「いただきます」
二人きりの食卓でも、毎日それなりに楽しい。そして今日も、お父さんの愚痴が始まる。
翌日、学校では怪談話に花が咲いていた。何事かと思ったが、よくよく聞くと私の所為だった。
「ホントだって、見たんだって! 俺の目の前で、地蔵が消えたんだよ!」
いつも法螺ばかり吹いている男子が、いつになく真剣な面持ちで力説しているのだが、誰一人として真面に取り合っていない。
「だって今朝その道通ったけど、ちゃんと地蔵あったぜ」
「戻って来たんだよ!」
「何で一回消えといて、また戻って来るんだよ」
「知るかよ! 消えて戻って来たんだからしょうがないだろ!」
「はぁーん」
皆小馬鹿にした様にあしらっている。なんだか申し訳ないな。そう思いながらも、にやにやと笑って仕舞う。傍目には私も一緒になって、馬鹿にしている様に見えていた事だろう。まあこの際、それでも全く問題は無い。ただ、人目に付きやすい物で練習するのは、金輪際止めておこうと思った。
その日の帰り道、お地蔵さんにそっと手を合わせておいた。練習に使っちゃってごめんなさい、もうしません。
「蓮たら、なんで拝んでんの?」
今日は知佳と一緒に帰っている。特に知佳の具合が悪かったわけではないけど、私もピーチクに掴まらなかったから、普通に一緒に帰っているだけ。元々知佳とは親友なんだから。
「だって、消えるお地蔵さんでしょ。なんかご利益ありそうで」
「ご利益って、何のご利益よ」
「なんだろ」
知佳が笑うので私も笑った。
「じゃあ、また明日。運動会でね」
「うん……晴れるかな」
「晴れると好いね」
「そうだ……ね」
なんだか晴れて欲しくないみたい。ほんとに知佳、如何したんだろう。
「運動会嫌なの?」
そう聞くと、知佳は吃驚した様に頭を跳ね上げて、「まさか、そんなこと無い無い! 晴れると好いね!」と云うと、「じゃあね、ばいばい!」と風の様に去って行った。
ほんとに如何したんだろう。大丈夫かなあ。
家に着くと、ドアの前に神田が居た。次は土曜日って云った癖に。
「止めてよ、不審者ですか。――家入って」
強引に神田をドアの中へと入れたが、そこから頑として上がろうとはしなかったので、仕方なく上がり框に腰を掛けた。
「見て置いて欲しいものがあるので……それだけ見せたら退散します」
神田はそう云うと、タブレットを取り出して地図を見せて来た。
「ここが今居る、蓮さんの自宅で」スワイプして地図をスクロールする「ここが倉庫です」
「倉庫?」
「この場所を確り把握してください。そして――」画面を切り替えて写真を出した。「これが倉庫の外観です。で――」更にスワイプして次の写真を出す。「これがその中の様子です」
最後のは写真でなくて動画だった。ゆっくりと画面が横にスクロールして、一周する。布団やら日用品やら、そう云ったものが整然と積まれている。
「試しにこの――」そう云って神田は動画を止めて、一部を拡大した。「歯磨きセットをここに持って来てみてください」
何のことやら判らない儘、云われる通りにしてみた。脳裏に歯磨きセットが判然と浮かび上がり、それを手元に持って来る。
「おっけぃ、では元に戻してください」
「はぁ」
云われた通りに元通りの場所へ置く。
「この倉庫は、本番で使うと思います。いつでもここから必要なものを取り出せるようにしておいてください。何なら今夜一杯練習して戴いて構いません」
「判りました」
「では私は帰ります」
そして本統に神田は帰って行った。階段もエレベータも使わず、廊下の塀を乗り越えて空へ飛んで行った。慌ただしい人だな。
運動会で知佳は倒れた。倒れて保健室へと運ばれた。気が気ではなかったけれど、参加競技や応援合戦などで忙しく、様子を見に行く機会が中々取れなかった。やっと隙間を見付けて見に行ったら、知佳は寝ていた。
「ほんとに如何しちゃったの、知佳」
ベッドに近付いて脇の椅子に座ろうとしたら、ベッドの向こう側に神田が居るのに気付いた。
「は? え? 何で?」
「おや、お友達でしたか?」
「大親友ですけど」
「なんと、それは心強い!」
何のことだ。まさか。
「ずっと探していた、心を読める人です。やっと逢えたと思ったらこんな有様でして……能力の制御が上手く出来ていないようですね」
「あゝ……」
そう云うことか。ずっと具合悪そうにしていたのは。私が最初の頃物凄く疲れていたのと同じで、知佳も能力にスタミナ持ってかれているのだろう。
その時知佳が軽く呻いた。起きそうだな、と思ったから席を立った。
「神田さん、知佳を頼みます。あたしが一緒に居ても混乱するだろうし、話し辛いかも知れないので」
「成程、そうですか。ではまた後程」
二人を残して保健室を出た。そうか、知佳が。なんとなく嬉しかった。
お昼はお父さんと一緒に、お父さんが作ったお弁当を食べた。知佳も如何やら家族と一緒にお弁当を食べている様で、体調持ち直したのなら良かった、と思った。神田と話したのかな。どんな話をしたんだろう。そんなことを考えながら見ていると、どうも具合悪い振りをしている様な気がした。何でだろうなと、不思議な想いでずっと見ていた。
そして運動会が終わり、お父さんと二人で家に帰ると、途中で神田と擦れ違った。「あ」と声が出掛けたが、神田が人差し指を口に当てていたので、黙って遣り過ごした。なにそれ。不審者かよ。
夕食を取り、風呂に入って、パジャマに着替えていたら軽い眩暈を覚えた。そこから暫く記憶が飛んでいて、気付いたら普通に服を着て外に出ていた。
「あれ?」
そこに神田が近寄って来て、「ちょっと乱暴な手段を取って仕舞って済みません。これから一緒に来て貰いたいと思いまして」
「えっ、でも……」家の方を振り返る。
「ご心配なく。お父様はあなたの外出を知りません。これに就いてはまた後程詳しくご説明しますが、あなたが今でも家に居ると、お父様は認識しています」
「ちょっと何云ってるか解んない」
「問題ないと云うことですよ――で、これから知佳さんをお迎えに行くんですが、あなたにお手伝いをして戴きたくて」
「何すれば好いの」
「一旦上に行きましょう」
そしてまたしても、神田の力で空へと飛ばされた。二度目なので多少は慣れたが、如何も足許が不安になる。上空で神田は説明を始めた。
「知佳さんは如何も精神的に参っている様なので、いきなり私が行くよりもお友達のあなたが行った方が安心出来るかと思ったんです。説明も未だ十分出来ていないですし。先ず警戒心を解いて戴きたくて」
「なんだか悪巧みみたいね」
「決してそう云うことは無く」神田は稍慌てた。それが鳥渡面白くて、くすりと笑って仕舞った。
「判ったよ、神田っちの云う通りにするから、何すれば好いか教えて」
「随分と可愛らしい呼び名を、有難うございます」神田は苦笑した。
「取り敢えずなんとか外へ連れ出して戴いて、先ずは彼女に念を送って欲しいんです」
「ねん?」
「そう。彼女はテレパス、詰まり心を読んだり、相手の心に語り掛けたりすることが出来る能力者なんですが、鳥渡独特な性質がありまして。何かしらの能力者であれば彼女を通して、能力者同士のテレパシーを中継させることが出来るんです。あなたも私も、テレパスの能力なんか無いんですが、知佳さんが近くに居れば、あなたも私も一時的にテレパスになれるんですよ」
「ええと、詰まり?」
「知佳さんの側であれば、あなたから私に、私からあなたに、テレパシーを送れると云うことです。もちろん知佳さんに対しても送れます」
「へえ、面白そう。でもテレパシーの送り方なんか判らないよ」
「私も余り経験が無いんですが、相手に対して念じる感じで、多分送れると思います。一回知佳さんを呼び出す前に、私とあなたで予行演習しましょう」
「わかった。で、その後は?」
「あなた自身の能力を紹介してあげてください。仲間がいるんだ、一人じゃないんだと、教えてあげて欲しいんです」
「成程ね。で?」
「そこまでして戴ければ、後は私の方で引き取ります」
「諒解った」
そして二人で、知佳の家の前に降り立った。
〈私の声聞こえますか?〉
神田の声が頭の中に響き渡った。なんだか変な感覚。知佳はこれをずっと聞いていたのか。
〈聞こえた。こんな感じで返せばいい?〉
〈上手いですね〉
直ぐにコツが掴めた。案ずるより産むが易し、と云う奴か。これが知佳の能力なんだ。
そう思いながら、インタホンのベルを鳴らした。
(終わり)
二〇二三年(令和五年)、九月、十五日、金曜日、友引。
改稿、二〇二四年(令和六年)、五月、三日、金曜日、先負。