自殺願望
第一提唱者にはなれなかった (TーT)
00/3/11
自殺願望の四段活用
以下は、かつての自己の分析と、数人の友人の証言によって構築した、自殺願望保持者の心理の変遷の様子を大きく四つのステップに分けて考察したものである。
- 1.「死にたい」(救済願望・甘え)
- 「誰かに助けて欲しい」とか「相手にして欲しい」と云った、救済や注目を求める心理。この段階での自殺行動は、全て狂言自殺である。即ち、手首をカッターなどでそっとなぞるなどの「リストカット」は、身近な人(親や友人、先生など)に心配してもらいたいとか、誰かに自己をアピールしたい一心で、パフォーマンスとして行われる。この段階で命を落としてしまったとしたら、それは「事故」である。本人には、心底から死ぬ気はない。但し、ここで救いの手を差し伸べずに放置してしまうと、次の段階へと進んでしまう。
- 2.「死ななくちゃ」(義務感・強迫観念)
- 「自分は世間(または特定の誰か)にとって害となる存在だから、死ななくちゃいけない」と、自分を追い込んでいる状態。この時の自殺は、狂言ではなく、何かに追われるようにして死に急ぐ。リストカットよりも確実な方法を取ることが多い。
- 3.「殺してやる」(能動・分裂・自己嫌悪)
- 「自分は悪人である」と云う意識から、「自分が憎い」と思い始め、「自分を殺してやる」と云う行動原理の元、自殺に走る。殺す側も殺される側も、自分なのであるが、意識は主に「殺す側」にあり、殺される自分を他人のように客観視している。「殺す」と云う意識から、刃物を使うこともある。前段階よりも、派手な手段を取る可能性が高い。
- 4.「死ね」(受動・無気力・自己憎悪)
- 「殺す」と云う行動を起こすことさえ煩わしくなる段階。この時期の自殺の可能性は、案外少ない。何をする気も起きず、ただ自己に対する憎しみのみが心にあり、「死ぬ」とか「殺す」ではなく、「死んでくれ」と、他力本願な形で死への願望を抱く。前段と同じように、死ぬ対象である自分を客観視している。前段との差は、その視線が冷めている点にある。この段階では行動を起こすためのエネルギーがないため、自殺の危険性は少ないが、一人暮らしの場合、栄養失調や餓死の可能性が高い。とにかく生きる気力も死ぬ気力もない状態。
とまあ、こんな感じである。実際私が、若い頃にこのような心理経過を経た経験がある。つまりこれは「経験則」なのだが、数人の友人との(異様に深い)会話の中で、やはり似たような経過を経た経験があると云う答えが返ってきたので、私個人に特有の心理ではないと判断するに到った。
ところで、私はつい最近まで、これを「ユニークな理論」と信じて疑わなかった。つまり、自分が発見した心理の法則だと思っていた。しかし、最近鬱病に関して興味を持ち、書籍をあさる内に、どうも、そうではないことに気付かされたのである。
鬱病の経過
鬱病患者の抱く自殺願望と云うのは、大雑把に以下のように区別することが出来る。
- 1.主張
- 初期の段階の自殺は、救いを求めるのが目的であり、本当に死ぬことはない。この段階で気付き、救いの手を差し伸べれば、多くの場合自殺衝動は止む。
- 2.厭世
- 「自分がいなくなっても誰も困らない」と考え、自分が生きていく必然性を感じられなくなり、自殺をする。この時の自殺は、本当に死ぬ気でやるので、注意が必要である。
- 3.無気力
- 死にたいとは思っているが、自殺をする気力もなくなる。鬱の最も重傷の時期である。
- 4.回復期
- 鬱病が恢復傾向にある時、精神的な周期変化が最も激しくなるので、鬱状態になったときの、直前との精神状態の落差が、鬱の最も重いときに感じるものよりも大きく、自殺に走りやすい。この時期は、下手に活力があるので、すぐに行動に移してしまう。2と並んで、自殺で死んでしまうことが最も多い時期である。
私自身、鬱に対する知識がまだまだ少ないため、これ以上の詳細なことは書くことが出来ないが、取り敢えず今回のネタには、これで充分である。
そっくりやんか……
どうだろう。先に示した私の理論と、この鬱病者に関する医学の知識とは、とてもよく似通っているのがおわかりになるだろうか。独自の思考で似たような結果に辿り着いたことは、取り敢えず嬉しいのだが、しかし、なにげに「先を越された」という思いの方が強いというのが、正直なところである(笑) 尤も、私は精神医学の徒ではないので、仮令(たとえ)独自の画期的な理論を思いついたところで、発表する手段は無いし、こうしたところで書けば、無断拝借によって功績を横取りされてしまうのがオチであろう(笑)
いや、別に、世間的評価なんかはどうでも好いのだが。私は純粋に「先を越された」のが「悔しい」だけなのだ(笑) そして、悔しさのあまり、こうして誰も見ていないようなページに、うだうだと書き連ねてみたと、ただそれだけのことなのである。もしこれが私の独自の理論であったとしても、別に心理学や精神医学の分野で名を挙げようとは思わないし、私のページを発見した運の好い人が自説として発表したとしても、別に構わないのである。なぜなら、私はこの方面での名は要らないし、また、突っ込んだ質問に能く答える自信も、殆ど無いのだから(笑)
てことで
今回は内容が薄いし、ただの衝動的な書きなぐりだから、とっても短くて浅い文章だが、これで終わりである。次回のネタはまだ決っていない(笑)
もしも読者がいればだが、まあ、気長に待っていて欲しい。決して約束はできないのだが、いずれまた気が向いたときに、適当にボチボチと書くであろう(笑)