00/4/27
絵本を「文章」と云う視点から見ると、これは「児童文学」の「詩」が最も近いと思う。
実際、大人向けの絵本と云うようなモノもあるけれど、そうした作品もひっくるめて、体裁としては「児童向け」の表現方法を採っているだろう。三人称で書くならば、その殆どは丁寧語を使い、一人称で書くならば、「わたし」や「ぼく」は殆ど子供だったり、擬人化された動物だったりする。もちろんそうでない物もあるにはあるだろうが、基本的にはそう考えて差し支えないだろうと思われる。一人称が大人であるような絵本の場合でも、その大人は必ず「幼児性」を露わにしている――ような気がする(笑)
先ず、ストーリーは単純明解であること。凝った伏線や隠喩なんかを多用すると、子供に理解できなかったり、画にし辛かったりする。仮令(たとえ)大人向けの、ストーリーに含みのある絵本であっても、絵本である以上は、子供が読んでもそれなりに愉しめるものでなければウソなのだ。大人用の絵本を読む大人が欲するものは、「子供向けと云う羊の皮」を被った狼なのだから、羊の皮のない狼はただの乱暴狼藉者でしかなく、ストレート過ぎるものは「つまらない」のである。つまり「意味の二重性」が要求される分、大人向けの絵本の方がしんどい。
次に、リズム。意図的にテンポを早めたり時間的な凍結を利用したりするような技術を除けば、殆ど一定のリズムで言葉を刻んでゆく方が、すらすらと読めるし、画にもし易く、また、調子を外したときの効果も狙いやすい。これは文芸一般に云えることかもしれないが、リズムの好い物ほど楽しく読むことが出来る。読書に限らず、何をするにしても、人間はリズムに支配されていた方が能率よく仕事をこなすことが出来る。裏を返せば、リズムの乱れた行動は、人に不快感を与えるし、仕事の能率も上がらず、質も低下する。文芸とて同じことであり、また、絵本に関してはなおさらで、「ノれない絵本」などと云う物は、決して子供に読まれることはないだろう。
内容という点に関しては、これはもう、無制限だろう。何を題材にとっても、絵本に出来ないことはない。問題は、その題材を如何(いか)に「絵本として昇華」することが出来るか、と云う点にある。如何なる素材を持って来ても、それを解体、再構築し、創作物として昇華していなければ、素材がどんな佳いものであったとしても、絵本としては甚だ退屈でつまらない物になってしまう。――そうしたものは、世間では「作文」とか「絵日記」などと呼ばれる。
画ということでは、絵本は「テーマの定まったイラスト集」のようなもので、画風を無視して論ずるなら、漫画に近いかも知れない。ネーム(台詞)や説明文に適(そぐ)う画を描くという点で、漫画との共通項は多いだろう。
ただ、絵柄という点では、いわゆる漫画とは一線を画したものがあるかもしれない。いずれも画風に特別な縛りがあるわけではないのだが、基本的に漫画は「線描」であり、絵本の画は線描でないものの方が多い。――もちろん、漫画の中には、線描に捕らわれないようなものも有るし、逆に漫画のような作りの絵本もないわけではない。両者の境界は甚だ曖昧であるのだが、基本的基準(ベーシックライン)としては、異文化として差し支えないだろうと思われる。これは決して、双方の乗り入れ(絵本作家による漫画や、漫画家による絵本)を否定するものではない。
漫画から離れて、これを「イラスト集」と見るなら、それは絵本の別の側面を捉えることが出来るだろう。絵本の画というのは、それ一枚一枚が、完結した一つの「イラスト」または「絵画」である。漫画と違って、効果音をデザイン化して画面上に配置することはまず無いし、多くの場合効果線などと云ったものも描かれることはない。説明的な描画を殆ど入れず、説明は「文」に全て委託して、画は画として飽く迄「ビジュアル的な表現」を追求している。ゆえに、絵本の中から無造作に一枚の画を取り出して、それをポスターとして壁に飾ったとしても、充分鑑賞に耐え得るのである。逆を云えば、全てのカットがそうした一枚の独立したイラストとして存在できるかどうかこそが、絵本と漫画との「最も大きな差異」であるかもしれない。これは別に、どっちが優れているとか云う優劣の問題ではなくて、飽く迄「文化としての差異」を述べているに過ぎないので、誤解して欲しくないのは「絵本の方が漫画よりも高尚である」などと云うちんけな思想に到って欲しくないということである。
どうも漫画との比較みたいな論調になって、内心心苦しいのであるが、漫画には漫画としての領分があり、絵本には絵本としての領分がある。ある点で両者は領域を共有し、それゆえ「似ている」と感じさせる面も多々あるのだが、基本的に両者は別の代物であり、当然ながら「漫画でなければ出来ないこと」や「絵本でなくてはならない必然性」と云うものはそれぞれの領域に存在している。
絵本でなくてはならないと云うのは、一体どう云う場面であろうか。絵本はどのような「固有の領域」を有しているのだろうか。
これは決して一口に論ずることは出来ないし、文章(これもまた、別の文化である)上で語り尽くすこととて不可能であると思われるのであるが、極めて主観寄りの意見を大雑把に云うことを赦して戴けるならば、それは「温もり」であるとでも云おうか。
他の表現手段で「温もり」を表現できないということではない。漫画であれ、文筆であれ、一枚の画であれ、温もりを表現することは出来るし、それぞれに独特の表現技術というものを確立している。しかし、それらはやはり別々のものであって、それぞれの醸し出す世界というものも、時には微妙に、時には大きく変わってくる。同じ「温もり」でも、絵本には絵本でしか出せない温もりがある。これはもう、実際に目で見て、肌で感じて、感覚として認識してもらうよりほかはない。
温もりに限らず、あらゆる「世界」は、それぞれの表現方法ごとに独自のものを作り出している。小説でしか作り出せない世界、詩でしか作り出せない世界、歌でしか作り出せない世界、クラシックでしか作り出せない世界、漫画でしか作り出せない世界、油彩画でしか作り出せない世界、水彩画でしか作り出せない世界、パステル、鉛筆画、3D・CG……そして、絵本でしか作り出せない世界というものが、厳然として存在するのだ。
もちろん、他の文化の領域を狙って書くというのも、一つの技法だし、それによって新たな境地を開拓することも出来るが、その表現の領分をしっかり見極めて、その方法でしか出来ない表現を極めるというのも、大切なことである。人によって感じ方は様々だと思うが、自分の見極めた領分に従って、つまり、その文化と云う限られた範疇の中で自分がどのような世界を創造し得るかをしっかり把握した上で、その道を極めるのが最も基本的かつ素直な選択だろう。
あるいは、冒険をしても好いかもしれない。しかし、冒険するにしても、結局は逸脱できないラインと云う物がどこかにあって、例えばそれを乗り越えたら「漫画」になってしまうとか、あるいはただの「イラスト」になってしまうとか、そうした境界を超えることなく、しかし基本的なところから大きく飛躍しなければならない。それは、境界で絶妙のバランスを取り続けることであったり、または、どの境界からも遠い、しかし基本ラインから大きく羽ばたく、譬えれば二次元の地図上から、遥か上空へと昇ってゆくような冒険であるかもしれない。だがそれも、飛躍しすぎてはただの「意味の解らないもの」になってしまうので、実際に形と為すのはそうそう容易(たやす)いことではない。
まあ、ある範囲内で最善の物を成さねばならないと云うのは確かである。しかし、その範囲は極めて広大であるため、普段その境界を意識することは、殆ど無いだろう。
絵本を創る場合に、大雑把に分けて、二通りのアプローチがある。
一つは、先にストーリーを創ってそれに画を付ける場合。
もう一つが、先に画があって、それにストーリーを付加する場合。
ストーリー先行の場合、先ず最初に題材から入り、どうしても書きたいストーリーが浮かぶのだが、それを頭の中に納めたまま画を構成するより、先ず一度、文字に置き換えておくと好いだろう。荒削りな梗概(あらすじ)のような形でも好いし、詩の形に一遍創ってからそれをアレンジしてゆくのでも好い。自分に合った方法を見つけると好いだろう。いずれにしても、画を付けていく段階で、文章を適した形に書き換える作業は回避できないのだけど、それはどのような作り方をしていても必然の作業だし、絵本に限らず、文章による表現手段では必ず行っていることである。
画が先に出来る場合と云うのは、大抵一枚のイラストから始まる。手遊(てすさ)びに描いたイラストでも、別の用途のために描いたイラストでも好いのだけど、それを描いて、または見て、そうしてストーリーが浮かんだ時、あるいは「絵本にしたい」と強く思った時に、一枚のイラスト→そこから想起されるストーリー→他のカット、と云う順に仕上がってゆく。
いずれのアプローチでも、殆どのカットはストーリーに合わせて描かれる。まあ、当たり前のことなのだが。その際、レイアウトにもよるのだが、カットは「文章の挿入」とかを考えずに描く方が好いだろう。それこそ、一枚物のイラストのつもりで。――カットの書き方などは、完全にイラストの書き方に準じるので、ここでは割愛させて戴く。
レイアウトには、いろいろなパターンが考えられるが、主な物として、3つの型を挙げることが出来る。
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Aは一頁内に、カットと文章を入れる方法で、しかしカットと文章のスペースは明確に仕切り、カットの上下などに、細長い文章用のスペースを設けている。
Bは、見開きを使って、左にカット、右に文章を入れる方法である。左右が逆でも好いだろう。
CはAと同様で、一頁内に納めているが、画の上に文章をオーバーラップさせたり、画の一部を白抜きにしてそこに文章を配置するやり方である。この方法では、頁ごとに文章の挿入位置がまちまちになる。
なんだか、「絵本の書き方教室」みたいになってきたから、「甚だ不本意じゃー」と云うことで、この辺でやめておこう。
取り敢えず、「回が進むごとに文章が短くなってゆく」と云う恐怖の直滑降は、回避できたらしい。「このまま消滅するのでは」と云う不穏な空気にも、一応のピリオドを打つことが出来ただろう(笑)
おいらを触発してくれた(というか、おいらが勝手に触発されたのだが)某りゑぞを氏に、心からお礼を云いたい。頑張って、天下一の絵本作家になってくれい(笑) で、天下取ったら、なんかおごってくれい(笑)